「オロシヤの冬は吾ら日本人には想像も出来ないほどの寒さです」
最初の日に世界の地理を勉強している山村昌永殿と改めて紹介し直したことも有ってか、吾よりも昌永に話して聞かせるようでもある。
「防寒対策をしっかりとせずば外気に触れる手足、指、頬、鼻、耳を切り落とさなければならないほどの病(凍傷)になってしまうのです。
オロシヤは一年のうち半分(半年)は冬と言っても良いでしょう。
(オロシヤの)国の中を移動するにも、吾等は大概厳しい風雪の中でした。
キビッカという輿みたいな物を橇に乗せて、人はその中に在って移動します。
馬は六頭、八頭立ですが、厳しい山坂越えと寒さに疲れ果て決まって死んでしまう馬が出ます。旅の途中にあればその死骸はその場近くの林に放置して先に進みます。
遭難した神昌丸の乗組員は吾を含めて十七人でした、流れ着いた北國のアミシャッカ(アムチトカ)と言う島からオロシヤが国のオホーツクを経てイルクーツク到着までに凡そ六年にもなりました。そこに辿り着くまでに寒さと飢え等で命を落とした者は多く、生き残ったのはたったの六人でした。
庄蔵と言う者が、イルクーツク到着を前に重度の凍傷に罹ってしまいました、イルクーツクには病院と言う物が有ります。医者をレーカリと呼んで居ました。
医者が多く常駐し、誰彼なく患者を診てくれるのは小石川の養生所と同じでしょう。
だけど、その設備はもっとしっかりしたものに御座います」
オロシヤの気候風土を知るに、物の本や地球儀で想像するよりもオロシヤを体験して来た、生活して来た者(光太夫殿)の口から直接聞くことの方が昌永のためになる。
吾はかつて聞きもした事だが、暫く続けて黙って聞くことにした。
「庄蔵を診た医者は、左足を切断しなければならない。
そうしないと庄蔵は死んでしまうと言うのでした。
驚きましたよ。骨ごと足を鋸で切ると言うのです。
同じ症状に在れば、オロシヤ人もまた同じ処置方法だと言う事でした
本人は嫌がり、嘘をつくなと医者に食って掛かりましたが、仲間の誰もがその処置を止むを得ない事と理解したのでした。命あっての事です。
その庄蔵と共に、改宗してオロシヤに残ると決心した者に新蔵と言う者が居たのです」
光太夫殿は、日本に一緒に帰る、連れてってくれと泣いて哀願した庄蔵との別れを言わなかった。
また、仲間一人の葬儀を己一人でせざるをえなかった、耶蘇が信者に非ざれば人の屍と雖も原野に捨てられる、春になったらそれが猛獣の餌になる、オロシヤに残ると決心した新蔵が心の裏に新蔵自身が味わった厳しい実体験が有った事を口にしなかった。
何年経とうと、髭面に、今もそのようにあるかと光太夫殿の心情が知れる。
話が途切れると、吾はあえて己の関心事を口にした。
「其方も知るように、翻訳を専一に考えている吾には異国の語の収集、記録は極めて貴重な事でござる。
彼らは凡そ十年オロシヤに居った。それ故、其方に教えて貰ったオロシヤ語に加えて何ぞ新しく知る言葉とてあるやもと期待した。
だが、一人としてオロシヤの文字を真面に理解している者は居なかった。
日常会話の発音を頼りにして、綴りは殆ど出来ておらぬ。実に残念なことじゃ。
(大槻玄沢が津太夫等から聞きもして環海異聞に収録出来たロシア語は凡そ六四〇)
また、聞き取りが事の記録を後に見るに、彼等の行った先々に係る日付と距離等が語る都度変わっても居て曖昧でもある。
彼らが応えを尊重しながらも、光太夫殿にお聞きして、またこれからに天文方の知人等に教えを頂き補足するしかあるまいと思っても居る。
気になる処、気付きもした事、遠慮なく申し出て下され。宜しく頼む」
「はい。承知して御座います」
「迷う所が無ければ、どんどん先にお進み為され。
今日のうちに、ペテルブルグでアレクサンドル一世に謁見出来た当たりまで進みたいのじゃが・・・」
「えっ。今、アレクサンドルに謁見したとか、言いましたか?
オロシヤの王様は、エカテリーナ女王では・・・」
「うん。其方がオロシヤに居った頃の王様はエカテリーナであったが、石巻の彼等(漂流民)がイルクーツクに着いたばかりの頃に、その女王様が病で急逝したらしい」
お京が三人の湯飲みを持参した。こちらに在るとお聞きしましたのでと語る。また、間もなくに朝餉が整うと言う。
光太夫殿が分もと言えば、そのように手配してあると言う。流石吾の所の女中と思いもする。末吉も来て居よう。朝も早い二人に感謝だ。
話が途切れたが一休み。喉を潤してからに聞いた。