七 北槎聞(ほくさぶん)(りゃく)が事

 それからに頼みもした。

「明日からは、仮屋敷におけるレザノフ等の行動と御上の対応、其方らに係る長崎奉行所やレザノフ等の対応、日常を聞かせえて貰おうかの。

 それが終われば、何日か前に約束したオロシヤ人の生活の有り様、言語等について聞きもしよう。

 何とかこの月(如月、二月)半ばには約束通り聞き取りを終えもしよう。出来そうだ。

 もう少しの辛抱じゃ。宜しく頼む」

 津太夫が言う。

「大槻様、俺達はレザノフ様と(長崎)御奉行所の間で何が有ったか分がりません。

 御答えは出来ぬ(どご)御座(ごぜゃ)ます。

 否(いや)、そもそも()りもすない(ごど)御座(ごぜゃ)ます。」

「うん。レザノフに対する(長崎)御奉行所等の対応は江戸の御上(おかみ)のご意向によるもの。

 其方らの預かり知らぬは最もな事。

 それ故、(答えは)漏れ聞いたことは漏れ聞きし事と語り、外は其方らの実際に体験したこと、経験したことを語るが良い」

 

 その夜に、吾ら四人は膝を揃えた。昌永だ。

「オロシヤは約束の不履行を、さぞ怒ったでしょうね。

 ナデジダ号がオロシヤに帰ったは去年の三月。もう凡そ一年近くにもなりましょう。

 大きな騒ぎはまだ蝦夷や松前(藩)から伝わって来ていませんけれども、

今後に何が起こるか分からん」。

「オロシヤが事の国力、軍備、外交等を、いざとなったら知らんがために、御上(江戸幕府)があの番町の御薬園に光太夫殿(大黒屋光太夫)()を留め置いたは正解かも知れぬの?。

 長崎が事は御上とオロシヤとの外交に係ることでこれ以上に聞いても津太夫殿()等は知りもしないであろう。

 明日(あした)からは長崎で体験した本人達のお取り調べを聞きもして、それからに彼らの知るオロシヤ人の生活の有り様、言語等の聞き取りに移っても良かろうかの?」

 三人が頷いた。右仲が言う。

「生活の有り様を聞けば必ずオロシヤ人の着る物、食べる物、金銭等の話も御座いましょう。

 是非にそれらを絵にしたい物で御座います」

「うん。それよ。絵に出来る物は是非に絵にして下され。

 氷山や、オロシヤのお寺の内部とか、シャリ(飛行船)とか、これまでにも聞いたがゆえに知って絵に出来た物も多くあるでの。

 吾や志村殿に構わず聞いて、(絵にしたいと)思う物を描いて下され。

 絵柄が事とは違うが、吾も聞いて驚くことも数多くあった。

 当初の方の話に、島からオホーツクまで毛皮商人の船に乗った、彼等漂流民全員にオロシヤの服を用意してくれた、海路を間違えて来たに向かい氷山なる物を目にしたと言っておったの。

 その船長、ガラロフと言う人物。六十路(むそじ)年齢(とし)に十七歳の妻が居た、子も居ったと聞いて、正直、驚きもした、

 光太夫殿(大黒屋光太夫)達をアムチトカと言う島からオホーツクまで連れて行った船長もまたガラロフと言い、島々を回って毛皮を集める商人だった。

 十七歳の妻が居た、子が出来たと光太夫殿に聞きもしていたのじゃ。恐らく、同一人物だったと思われる。(吾は)津太夫殿()が語るを聞きもして興奮を覚えもした」