五 儀兵衛の語る太十郎

 津太夫の話を受けた儀兵衛が語る。

軍船(ふね)だが梅ヶ崎の調理場がら小刀を盗み出すたというごどですが、

 太十(郎)はそんな盗人(ぬすっと)みでゃ(みたい)なごどする人(人間)ではねゃ(ない)。

(本人から)聞いで居ねゃ(ない)げども、オロシヤにいる時にあるいは帰国の道々(みずみず)俺達(おらだづ)(つが)って上陸()ていだ太十(郎)だー。

 寄りも()たコペンハーゲンやロンドンで小刀を買った、買う機会があったべ(あったのです)。

 日本へのお土産ど思って手に入れだがも知んねゃ(知れないのです)。それを買うぐれゃ(ぐらい)の銭子(ぜにこ)何時(いづ)も持っても居ますた。

 陸(おが)が見えねどもこの海の先が仙台だ。江戸だ。島も伊豆の八丈(はちじょう)だと聞きも()て、日本に(けゃ)って来た、戻って来れだどレザノフ様の前でも俺達の前でも太十(郎)は大はしゃぎ(・・・・)()て居だのっしゃ(です))。

 善六がカムチャッカで船を降りで、通詞にならないが、通詞をすて呉れど太十はレザノフ様に言われだんだ(言われたのです)。

 んだども(しかし)、折角に(日本に)戻って来れだのにその役をすたらこの男は何者、耶蘇の手先がど思われだら(日本に)上陸が叶わねゃ(ない)、田舎に帰れねゃ(ない)、絶対に通詞などになんねゃ(ならない)、そう思って固く断ったど聞いでもいだー。

 田舎に(けゃ)りでゃ(たい)、妻の顔も親の顔も見でゃ(たい)、弟に会えるど話すのを何度も聞きも()ていま()た。長崎に着いて凡そ二か月も海の上。お国のやるこどど言ったら(なん)だべど余りにも遅い対応に四人が四人、それぞれが(はら)()()ぐも思って居だのっしゃ。

 俺達に入ってくる情報とて何が何だが分がんねゃ(分からない)。日本さ(けゃ)って来て凡そ十年も経づに伊勢の白子(しろこ)の光太夫さん(大黒屋光太夫)達は今も牢屋に押()込められでいる。田舎に戻されていねゃつう(いないという)情報も入って来たべ。

 太十(郎)が悲観の余りに自殺()ようど()たのは、これが己の生まれだお国が、恋焦がれでも居だお国が。かといって己は何も出来ねゃ(ない)、情けない己に気付いたからだべ(でしょう)。思い()めるどこうも成るのがど思うも、気がふれですまったー。

 俺(おら)だって、太十(郎)の行動を(はず)めで耳に()た時はたまげ(驚き)ますた。だども後になって、(とう)年上(とすうえ)(おら)が何でもっと太十(郎)の言いでゃ(たい)ごどを聞いで()れながったのが、何でもう少()の辛抱だど励ますてやれながったのがど、悔()い思いが()てくん(る)のっしゃ(です)」

 そこまで語ると、肩を揺すって泣き出した。儀兵衛の頬を伝う涙はまさに御上に対する抗議だろう。儀兵衛の語るに聞く昌永も右仲も、志村殿も吾も頷く。

 一年前だったか、先生(杉田玄白)の前で伯元殿(杉田伯元)に聞きもした先輩、あの司馬江漢殿の言いし事も思い出した。交易を認めずレザノフを追い返したは、まさに世の中、世界を知らぬ、知ろうともしない幕府の嘆かわしい対応だ。

           六 醤油

 一同の気が沈みもしている事を(おもんばか)ったか、左平が面白いことを口にした。

「あの仮屋敷(かりやすぎ)、梅ヶ崎でロシヤ人から評判が()がったもの、それが何だと大槻様は思うべ?」

「ん?物かの?」

「物と言えば物では御座(ごぜゃ)ますども(御座いますけれども)、

 口にするものだー」

「口に?、はて?」

 少しばかり微笑みながら、左平は答えを口にした。

()がった、良がったと評判になったのは醤油(しょうゆ)ですた」。

「醤油?」

「へえ、食べる物は何処(どご)の国に行っても(はなす)っこになっぺ(話題になるでしょう)。

あの味付けの醤油だー。

 醤油と言えば下総(しもうさ)も野田の醤油だども、長崎では何処(どご)の醤油だが分がんねゃ(分かりません)。

 味噌や奈良漬(ならづげ)は匂いを嗅いだだげでオロシヤ(ずん)()は口に()ながったのっしゃ(です)。

 オロシヤでは卵に油(植物油)、塩に,酸味のある物をかき混ぜだという物が味付けに良く出てきますた(現代のマヨネーズ)。

 それはそれで美味(うま)がったども、レザノフ様も将校(だづ)も、軍船(ふね)の異人さん(だづ)も醤油を知って何にでもかげで食べるのには俺達の方がたまげだー(驚きました)。よっぽど口に有ったんだべ。

 何という物がど聞かれで醤油ど(おす)えれば、皆が口を揃えでショウユ、ショウユど言うのっしゃ」

 その光景を思い出したか、言う左平自身が笑い出した。

 釣られて一同が笑いもした。