(早稲田大学図書館所蔵本の「環海異聞」には、付記として「長崎へロシヤ船が着岸した最初、御検使がお尋ねになった次第の写し」と題する物が載っている。
そこには、寒風沢 津太夫 六十一歳
室ノ浜 儀平 四十三歳
同 左平 四十二歳
寒風沢 太十郎 三十四歳
とあり、左平と太十郎の出身村の誤りのまま残されている。
環海異聞原本を筆写した人物の誤りか、大槻玄沢自身の誤りか不明)
「その後ですた。行方様が俺達の目の前でレザノフ様に、あんだ(其方)の帯剣は認めん(る)が外の者の帯剣は許さねゃ(ない)。
一切の鉄砲大砲の玉、弾薬、刀槍を即刻引き渡すようにど通訳を通ずて語ん(る)のっしゃ。
いやー(否)、命令口調だべ(なのです)。たまげだー(驚いたー)。
オロシヤどの戦に成ったら、日本は赤子の首を捻るほどにも簡単に負げるど思ってもいますたがら・・・。
まがり間違っても長崎では(取り調べ中に)そんなごど言えねゃ(ない)がったー。
んだども(しかし)、レザノフ様は冷静ですたよ。将校以上の者の帯剣、衛兵の銃を除いで、朝になったら引き渡すど約束すたのですた。
通詞だという石橋助右衛門(当時、出島のオランダ大通詞)と名乗ったお方が、ランゾフ様(オロシヤ側の通訳)と何ぞ話っこすて居だ時ですた。
レザノフ様は、その場に来た異人がオランダのカピタンだと分かったんだべ。不快そうな顔をすて声高に異人二人に、この場から出て行げど命令すたのっしゃ(です)。
それがらに、(日本との)交易を認めるどある証文だと、先年に頂きもすたど聞いでいだ信牌だとその写すを差し出すていますた。
まだ、立派も立派。金襴の覆いに包まれだ箱を取り出すて、国王様がらの文ど献上品だど恭すぐ頭の上に掲げ、それを行方様に見せるだけですた。
レザノフ様は、これらは江戸に行って将軍様に直接差上げると言うべ(のです)。
最後に、レザノフ様とシュテルン様は米、小麦に野菜、魚等が欲すいど申す出でいますた。
同時にシュテルン様は、ナデジダ号の破損個所の修理のために時と資材購入を認めでくれど言っていますた。
行方様とオランダのカピタン様等が戻る船に乗り移った時には、もう真夜中だったべ(でしょう)。
御奉行所の船が離れで行くのを確認すたレザノフ様は、武器、弾薬殿の引き渡すはこの国の御定法だと聞きもすていだがら応じた。
だが、あのオランダ人のカピタン(ヘンドリック・ドーフ)等は本国に在っては位階の卑すい者である。我々と同席出来るような身分ではねゃ(ない)と言ったのっしゃ(です)。
出て行げど、不意に声を荒げだごどがそれで分かったべ(のです)」
「オロシヤ国王の書簡について、その中が知れるようなことを何か言っておったかの?」
「いやー、俺達には分がんねゃ(分かりません)」
「(オロシヤの)軍船は、その後も伊王島に在ったのかの?」
「いえ、翌日の夜になって木鉢浦と言う所に錨を下ろすますた。
それとて、長崎御奉行所のお許すが出での事なのっしゃ(です)。
七日の昼(昼間)に、長崎御奉行所の者だと聞きもすたお侍様三人(支配勘定方、村田林右衛門、奉行所家老、平尾文十郎、如何手附、矢部次郎大夫)ど、出島のカピタンだとが聞ぐ異人達何人ががレザノフ様の所(軍船)に来たのっしゃ(です)。
何が如何話されだのがは分がんねゃ(分からない)。レザノフ様が約束すた通り、鉄砲がら槍がら大小の刀等までが挽船で持って行がれでいますた。
シュテルン様(ナデジダ号の艦長)のムッとすた顔を覚えでいんべ(います)
そすて間もなぐに、その木鉢浦と言う所に陸に上がんがための仮屋が設げられだのっしゃ(です)。
んだども(しかし)、その余りにもお粗末な(仮屋の)出来にレザノフ様達は上陸を拒否すたー。
後に聞けば拒否すたのはそればがりの事(理由)ではながったべ(なかったのです)。ナデジダ号を支えるためその船底に石等が一杯に敷き詰められていだのっしゃ(です)。それを一旦陸に上げで置く場所が無がった。木鉢浦では船底の浸水箇所等の破損修理が出来ないとの判断だったのっしゃ。
贅沢をお国(日本)に要求すたのではねゃ(ない)。
軍船周りには(長崎)御奉行所の小旗を立てた船に、何処の船だが分かんねゃ(所属の分からない)のが日に日にあっと言う間に増えで行ったべ(のでした)。
(領海警固のために動員された人数は佐賀藩二万五千人、福岡黒田藩四千人、肥前大村藩七百人等である)
(参考図―早稲田大学図書館所蔵本、環海異聞に載る「オロシヤ船の長崎入港図」)
改めでやっとに梅ケ崎と言う所に仮屋が出来たのは十一月も半ばですた。凡そ二か月もすてやっとに上陸出来だのっしゃ(です)。
(文化元年十一月十七日。西暦一八〇四年十二月十八日に上陸)
耳にすた所によれば、嘘も方便どが。レザノフ様の体調不良の治療のためど、こっつ(こちらは)は本物のごどですたが、ナデジダ号の壊れだ所、浸水する箇所を修理するために上陸が認められだとのことですた。
んだども(しかし)、そごを住居に出来だのはレザノフ様と将校等二十人に軍船に乗っていた調理人の一握りだべ(です)。外の乗組員、兵隊さん達は皆引き続き軍船の中なのっしゃ(です)。
俺達四人は上陸を許されだー。
[付記]:今回の衆議院選挙の結果について、小生は、残念至極と言わざるを得ません。投稿している小説とは関係も無い事なのに、先に清き一票をと書きもしたので結果がどうあれスルーすることは出来ないと判断し、感想を書かせていただきます。
一党単独で議員定数の3分の2を確保。驚くしかありません。なぜなら、憲法改正に必要な数を満たしたではありませんか。本当にこれで良いのか。戦争に巻き込まれるは、庶民の知らないところでズルズル始まる。ウクライナをテレビで見ていて、新聞を読んでいて、そう思いませんか。
「戦争放棄」について、項目を立ててまで掲げる現憲法は、他国に類を見ない素晴らしい物です。それを改正することも出来る数の当選者を一党に与えて良かったのでしょうか。
現憲法は、戦争に負けてアメリカから押し付けられたものと語る知識人、議員等もいます。だけど、そもそも民主主義、思想・表現などの自由権と、誰でも健康で文化的な最低限の生活を営む権利を謳う生存権、戦争放棄を掲げる草案を終戦当時の憲法学者が作れなかったのです。
小生も司法試験合格を目指して、一時、真剣に取り組んだ時期も有りそのことは良く知る所です。
選挙戦の途中経過に、国会議員になる資格も問われる裏金問題の立候補者も居る党派に十代、二十代の若者の支持者が増えているとあって、良く考えて、清き一票を使いましょうと投稿させていただきました。
今回の選挙結果の速報を見ると、年齢が上がる十歳層ごとに一党への支持者が増えているではありませんか。裏金問題も、米騒動も物価高も、そして戦争に向かいそうな軍事予算の増加も、スパイ方の制定も、有事の際の有り様の変化等も関係ないのでしょうか。
幸いにして戦争の無い時代に生を受けている小生ですが、60代、70代、と雖も戦争の後の物の無い時代、貧乏生活を経験されている方が多いのではないでしょうか。ましてや80代以降となると父母兄弟が辛酸をなめて生きて来た方が多いと思います。それなのに、この選挙結果とは・・・。平和ボケなのでしょうか。
子供達に、将来有る孫達に胸を張って世の中を変えることに参加していると胸を張れるものでしょうか。
微かに、みらいを語る若者の党が当選者の数を増やしているのが、小生にとって一縷の望みでしか在りません。
統一教会問題を追及する野党に在りながら、否定しても、宗教団体を母体とする党と合体した党派の行動も理解できません。有権者の行動を大きく左右したでしょう。合体したばかりに直ぐ分離するのでしょうか。それは兎も角、国政選挙の度に、これで良いのかと高齢者の投票先に唖然とする小生です。
子や孫達のために、今後にも、生きた清き一票を期待したいものです。高齢者よ、年金生活者よ、よく考えよ。今回の選挙結果にも、一層声を大きくしてそう言いたいです。


