お茶の効用か、頭も目もすっきりする。気分を転換するにお茶は実に良い。

「続きを頼もうかの」

「へえ」

 津太夫の返事に、左平も儀兵衛も頷く。

「レザノフ様は明日にもお調べの船がまた来(く)んべ(来(こ)よう)ど語っていだのですが、明日どごろが、その日の夜も五つ時(午後八時)になって御奉行所の船が寄って来ますた。

 見回りの船(番船)よりも大ぎぐて高張提灯を舳先(へさき)にす(・)ていますた。

 まさか夜に来るとは・・・。レザノフ様も思っても居なかったようです(・)た。軍船(ふね)はまだ伊王島の側(そば)に在ります(・)た。

 それでもナデジダ号の艦長、シュテルン様(イブァン・フヨードロビイッチ・クルーゼンシュテルン)以下将兵達が敬礼の姿で日本のお侍様達を迎えます(・)た。

 先っぽに剣の付老いた鉄砲を掲げた兵隊さんが並び、胸前の小太鼓を打つ兵隊も居ますたよ。

 俺達(おらだづ)は甲板の端(はす)っこの方でたまげ(驚き)ながら見でも居ます(・)た。周りが暗げれば俺達(おらだづ)日本人がそこで見でいるなど、駆けづげだお侍様達は気付きもす(・)ながったべ(でしょう)。

 お侍様の中に異人(いずん)が二人紛れでいます(・)た。一人はあの出島とか言う所(どご)に住むオランダのカピタンだど、聞いで知(す)ったは後(あど)のごどだったべ。もう一人はオランダの通訳だったべが。

 レザノフ様は毛氈(もうせん)を敷き詰めである船室の中で、お侍様達を迎えだのです(・)た。

 日本の将軍に会う目的を聞かされでも居だす、将軍とはどういうものが、江戸はどんな所(どご)がどレザノフ様に何度が聞かれでも居ます(・)たがら、恐らぐレザノフ様は日本と交易をす(・)たい、それがオロシヤの王様の意向である。将軍様に直接会って国書を手渡す(・)たいど申す(・)入れだんだべ(のでしょう)。

 まだ、白河侯から頂いだ信(すん)牌(ぱい)を持参す(・)ているど伝えだど思うべ(思います)。

 暫くす(・)て俺達(おらだづ)四人にお呼びが掛かります(・)た。直(す)ぐに船室に来るようにどの事(ごど)です(・)た。(俺達(おらだづ)は)慌(あわ)でで、頭(あだま)(の恰好)は兎も角、単衣(ひとえ)に袴(はかま)も足袋(たび)も草履(ぞうり)も身に着けんべがど迷います(・)た。

 レザノフ様から、長崎奉行所からの真面(まとも)(正式)な使いとあらば、初めで会うに日本人の恰好をすろ(しなさい)と指示されていだのっしゃ(です)。(環海異聞巻の十四)。

 身に着けんべがど思って居た衣服(ふぐ)等は、あのオロシヤの王様の謁見の時に着もす(・)た、作って貰った日本の衣装だー(です)。

 だども、それには時間がねゃ(無い)べ。俺達は白(しろ)木綿(もめん)と島(縞)木綿のオロシヤの服のままに船室に入ったべ。

 俺達を見て、少す(・)ばがり驚いだ顔をす(・)たお侍様達です(・)たが、目安方(めやすかた)(民事訴訟に従事する役人)の行方(なめかた)覚(かく)左(ざ)衛門(えもん)ど名乗った御侍様がら細がぐ糾問(きゅうもん)されます(・)た。

 俺(おら)は最初に、仙台藩、石巻の廻米船に乗っていだ水(すい)主(こ)四人だど伝えます(・)た。

寛政五年の暮に難破す(・)て漂流す(・)た、助けられだオロシヤに凡そ十二年(ずううにねん)暮らす(・)でいだ、お世話になっていだと語ります(・)た。

 そもそも(難破した)船には何人が載って居だのかと聞がれ、十六人と応えます(・)た。そのうち三人は死んだと語れば、残り九人は如何(どう)す(・)た、何故一緒に戻って来ながったど聞かれます(・)た。

 九人は自分(ずぶん)の意思(いす)でオロシヤに残りだいど申す(・)出だど応えれば、生方様にも他のお侍様にもずろずろ(じろじろ)と見られもす(・)ます(・)た。

(九人の実際は、三人の生死が分からない。六人が改宗していた)

 ここに居る四人は、オロシヤの国王様に召す(・)出されだ日に帰国す(・)たいど申す(・)出だ。

それでこの(此度の)軍船(ふね)に乗せで貰えだのだど経緯(いぎさづ)を話せば、今度は仙台領も何処の出がど名前と年齢を聞がれます(・)た。

それぞれが応えます(・)た」

 津太夫が語りながらに二人を見る。儀兵衛と左平は言った。

 「室浜  儀兵衛  四十三歳」

 「寒風沢  左平  四十二歳」

 津太夫がその後に、寒風沢 津太夫 六十一歳、室浜 太十郎 三十四歳と加えた。