津太夫が話を元に戻して言う。
「八月も二十八日だったべ。軍船は薩摩も近くで物凄い嵐に遭ったのっしゃ(です)。
海は大荒れ。時化で波も高げれば、レザノフ様の部屋の硝子障子も打ず(ち)破られで腰が水(海水)に浸かるほどですた。
上棚の荷物もずぶ濡れですた。軍船ん(の)中は誰もが大慌てで如何なん(る)べがど思いますたよ。
船乗りなれば嵐に遭うごども有っぺど思っていでも、日本を目の前にすての事ですたがらね。早く収まれ、静まれどそれごそ神様に祈りますた。
ただ、そん時に成程と関心もすたー。勉強すたごども有りますたよ。
オロシヤの船は内側に鉄の延べ金を張ってあって、外板と金どの間に少すばかり隙間が有ん(る)のっしゃ。
船に打ち込んだ海水がその隙間を流れで行って左右の船端から海に流れ出ていぐ。戻って行ぐ仕掛げになっていだのっしゃ。
船造りに大いに参考に成っぺ」
左平が大きく頷いた。
「嵐が去って、俺達の乗っていだ軍船を見つけたん(の)だべ。
陸の方で篝火を焚いでいるのが見えますた。
レザノフ様は、薩摩の地で篝を焚ぐん(の)だがら、長崎に連絡が行くべ(行くだろう)、長崎に着く前に長崎の人達は俺達の事を知る、ど言うのですた。
そすて、帆柱(マスト)のてっぺんで風になびぐオロス(シ)ヤの国旗を見上げだのっしゃ(です)。
話にも聞いだごどのある、桜島どが言う島の噴煙も黒々と風になびいでいますた。
夜が明げだら、国旗も船も何処のもん(の)が知ん(る)べど言うのですた」
吾も昌永も、志村殿も右仲も思わず頷いた。
津太夫がその先も話した。
「レザノフ様には本当に驚かされるごどばがりですた。
軍船がら北も西の方を見で、あれが温泉とか言う物のある長崎、佐賀の高山であろうと言うのっしゃ(です)。
日本だと言う地図絵の上に半月型の器を置いで方角を知っ(る)とどもに、何やら長尺の物を取り出すて長崎までの(凡その)距離を測れる、計算出来るど言うのっしゃ(です)。
また、薩摩のこの海にタナゴ島があん(る)べ、どの方角になるのがど聞かれますた。んだども(しかし)、俺達は聞いだ事も行ったごどもねゃ(ない)島ですたがら、正直に、「知らねゃ(ない)」ど応えますた。
そすたら、貴方達は本当に知らねゃ(ない)のがど呆れだ顔をすたのっしゃ(です)。
レザノフ様は、自分の国の事をあまりにも知らなすぎるど言いますた」
天文方の間殿に聞きもすれば、半月型の器も長尺の計る器具も何であるか、オランダやヨーロッパで何と呼ばれているものか直ぐにも答えが返ってくるであろう。
否、それを真似てか独自にか、かつて己で作りもした天文機器や測量機器に関連しての答えが返っても来よう。教え頂いた事が思い出されるも、この場ではっきりとそれを言えるほどの自信もない。
(環海異聞には、半月型の器はおそらくオクタント又はイスタラビと言う測量器で有ろうと記述されている。現代で言う分度器である。
またタナゴ島とは種子島のことであり、レザノフが種子島を「タナゴ島」と言ったのは、旧名を伝え聞いていたのであろうと推測している(環海異聞巻の十三))