「このカムチャッカのペテロハバロフスクとか言う所で、急に善六と分がれるごどになったのっしゃ(です)
善六は、日本に着いだら、田舎(石巻)に帰ったら俺もオロシヤで元気にすている、イルクーツクで日本語学校の先生をすているど家族等に伝えで呉れど言ったのっしゃ。
体調が悪いがらここで船を降りるど言っだども、もどもどそっ(こ)から(カムチャッカから)オホーツク、ヤクーツクに回ってイルクーツクに行く予定だったんだべ(のでしょう)。
善六はレザノフ様やオロシヤ人の通訳ど仲良くもなって居たれば俺達と待遇が違って居だのっしゃ。
んだども元は同ず仲間。四人それぞれが善六ど肩を抱き合って別れを告げだのっしゃ(です)。
善六は太十(郎)とそう年齢が違っていねゃ(いない)。
いざとなって、寂すそうな顔をすたのを覚えでっぺ(います)。
(善六は太十郎より一つ年上)
軍船の(水先)案内人(案針役)は、陸地から五百里(一露里、一〇六七メートル、約五〇〇キロ)離れで航行すているど言うべ。
レザノフ様は、地図にも無ゃ新すい島を探すているのだど帆柱(マスト)のてっぺんに水夫を上げで遠見させるのですた。
俺達にここは蝦夷の沖だど教えで呉れますたが、島影すら見えませんですた。
そればがりが、この通りは仙台である、貴方等の故郷に近がんべど(近かろうと)日本の地図絵も日本についで書がれだ書物さえも開いで見せるのですた。
驚きもすますたが、肝心の陸地は見えねゃ(ない)のっしゃ(です)。
そこを通り抜け暫ぐすてがら、こごは日本の都、江戸の近くに在る、江戸には後に王様から預かった国書を届けに来るど言うべ。
それがらまだ(軍船が)走って、この辺りに島が七づある、その中の一つが八丈島だと言うのっしゃ(です)。八丈(島)は知ってん(る)べど聞かれますた。
だども(しかし)、カムチャッカを出てがらど言うもの一向に陸地が見えず、船の通り路(海路)を俺達は聞かせてもらうだけで、実際、今に(軍船が)何処にあっ(る)かなど良ぐに分がりませんですた。
聞かれだ八丈(島)の事も「知らねゃ(ない)」と答えでレザノフ様はカンカンですた。織物で有名な八丈(島)を知らないどは何事が、怪すからんと言うのっしゃ(です)
レザノフ様の手元にある世界地図には大島や八丈の島が載っていますた。
カムチャッカまでの船の中で善六がら日本の事、言葉等を教えで貰って居だとすても、レザノフ様の日本にかかる知識は相当な物だど俺達の方がたまげ(驚き)だー」
足して語る左平の話にもっと驚いた。
「レザノフ様の身の回りを世話すていだ兵隊さんがら聞いたのっしゃ(です)。
来る日も来る日も海ばかり眺めている(或る)日に、乗船すた独逸人の医者が言ったん(の)だどが。
オロシヤ語で医者はブラ―チ、(Bpay)、ドイツ語で何どが(アーツ、arzt)、オランダ語の通訳士に和蘭語では何と言うのが、日本語で医者は何と言うのがど聞いだどが。それでオロシヤ語から三すくみ、四すくみでお互いに他所の国の言葉を知ん(る)べ(知るでしょう)。
それを耳にすたレザノフ様が、一堂に集まって勉強会をすようど声を掛げで(提案して)、サンドウイツク島から日本に向がうとで船室がもっぱら日本語の勉強会になったんだどが」
(レザノフが今日に残した書籍に、「日本語を知るための入門書」、「ロシア文字による日本語辞典」がある)