左平が語る。
「俺達の側に一緒に立って見で居だ(水先)案内人(案針役)は、島の人達は俺達異人を自分達よりも良いものを持っている人ど思って居る、何が島の人に与える良い物、物々交換出来る物でもあれば良いんだがど口にすますた。
聞けば、何度が異国の島に行ったごどが有る、その体験から知ったごどだと言うのっしゃ(です)。俺達三人は成程と思いますたよ」
話がまた津太夫に戻った。
「その後、カピタンの部屋で何がどう話す合われだのが分がんねゃ(分りません)。
(船室から)出て来たレザノフ様とシュテルン様(ナデジダ号艦長、クルーゼンシュテルン)がら、壊れだ水桶の鉄製の箍何本がを何ぼ(幾つ)にも割る作業を命ずられますた。兵隊さん等どその作業に参加すますた。
後でそれを島の人達に与えん(る)のだど知りますた。何ぼ(幾らか)でも鉄箍を手にすた島人は、それぞれ大いに喜び持ち帰ったのっしゃ(です)。
まだ、それを機に兵隊や乗組員の中には島の娘と懇ろになる者もいで、それがらはレザノフ様もシュテルン様も見て見ぬふり、素知らぬ顔ですた。
薪も水も程無ぐ無事に軍船に運び込まれるごどになったのっしゃ。俺達二、三人が一緒になって担ぐ物も島の人は一人で担ぎ上げだー、たまげだべ(驚きましたよ)。
カピタンの望む積み込み作業が終わるど、レザノフ様が島の人にお礼をすて居ますた」
左平が津太夫の話の後を継いだ。
「俺も覚えでいっ(る)ぺ。
レザノフ様からの贈り物は、先ずあの騒ぎを収めで呉れだイギリス人、フランス人に更紗の下帯ですた。
それがら、薪や水の確保に協力すてくれだ島主に刃金のねゃ(ない)鉞だったべ。島主がその返礼だど言って豚を何匹か連れで来だのには、俺は驚きも笑いもすますた。
だども、そん(の)時に島主がレザノフ様に語るごどを耳にすて、ドギっとすますたよ。忘れられねゃ(ない)、覚えて居ん(る)べ。
昔は(この)島の人は生きた人間さえも喰った。争いになれば勝った方が親族でも構わず負けた人間を喰った。今でも訳の分からぬ病で死んだ人を除いて、死んだ人も食料だ、喰うと言うのっしゃ(です)。
いやー、たまげ(驚き)だー。物が欲すいために髑髏を手にすて急いで小船を漕いで来た者も居ますたけど、それであの島の人達の有り様、(生活)習慣を知りもすますた。
俺は住めねゃ。残れど言われでも島に住めそうに何ねゃ(ならない)」
思い出したか、首を引っ込め左右に振る。
儀兵衛が言う。
「贈り物のごどど関係ねゃ(無い)ども、俺が覚えでいるのは刺青のごどっしゃ。
刺青も島の人達の習慣の一つだべ。軍船に乗って居だ水夫(水主)の一人が刺青をする方法を仕切りに聞いでいだのっしゃ。
そればがりが、とうとう自分の腕に刺青をすて呉れど頼んだのしゃ(です)。
鋭い魚の骨ですた。それを使って顔にも腕にも足にも思い思いの刺青をすんだー(するのです)。
肌に当てた鋭い魚の骨を小槌で小刻みに叩いて疵をつけ、疵をつければ血が出っぺ。それを手でふき取り、疵をつけ、ふき取るの繰り返すですた。
骨の先に付けられた青色や赤色を疵つけだ肌に付げでいくんだども、その色が何で出来てん(る)のが聞かながったー。
その様が恐ろすぐも見えで外の者と一緒に遠巻きにすて観ていますた。
出来上がったのを見れば、オロシヤの文字ですた。
聞けば、何年何月何日この島に来たと彫らせたと言うのっしゃ(です)。
あの島には文字がねゃ(無い)ど知りもすますた」
吾の問いに、津太夫は五月に入ってマルケサスを出帆したと応える。しかし、海路と赤線の有る地図にはオロシヤの日付で六月七日(一八〇四年)、吾が国の暦では文化元年四月二十九日出帆と有る。
六、七日して再びエクワトル(赤道)を通る時にも軍船の中は酒宴だったと三人が口を揃えた。