サ マルケサス島
四半時(約三十分)の休憩にもなった。
「甲子(文化元年、西暦一八〇四年)の四月下旬だったべ(でしょう)。
オロシヤ人がマルケサスと呼ぶ島(環海異聞にはマルケサ、又はマルケイスケの島と表記。以下、マルケサス)に寄りました。
周りには外にも小さな島があったべ。
飲みもすれば、暑いとて皆々が頭から水を被るゆえ軍船の飲み水を補充する必要があったのっしゃ(です)。
いやー、たまげだー(驚いたー)。そごに住んでる人は男も女も裸のまんまですたよ。男は身の丈七尺(約二メートル十センチ)。陽物(陰茎)の先っぽを葉っぱなのか何かで少しばかり隠して、糸のような物で結んでたー。
顔面から手足の先まで刺青をすていますた。
女は丈が五尺も有っぺ(有るでしょう)。ススキのような葉っぱ(後で椰子の葉と分かる)を並べ重ねで、それを紐のようなもので腰に結び付けでいますた。
刺青は手先にだけすていたベ。
(参考図―早稲田大学図書館所蔵本、環海異聞に載る「マルケサス島の男女」)
軍船が港に近づくと、泳いで来る者も多ぐ居だげど、吾先に小船を漕ぎ寄せで来るのっしゃ(です)。
集まった数たるや二、三百人。何を言っていん(る)のが分がん(ら)ないうえに、勝手に船の舳先に上って来る者もあって船の周りは大騒ぎですた」
言いたくてうずうずしていた左平が後を語る。
「要は、物々交換をすたくて住人達は先を競っていだのですた。
鰹を手に持って来た者も居ますたが、髑髏を手にすていだ者も居でたまげ(驚き)ますたよ」
話が津太夫に戻った。
「騒ぎの日が続きましたよ。このままでは肝心の水を確保できないど、俺でさえ心配になりますた。
二日経ったべが。二人の異人が土地の小舟を漕いできたのっしゃ。
まるで大きな蛇にも見える小舟ですた。
(参考図―早稲田大学図書館所蔵本、環海異聞に載る「マルケサス島の舟」)
たまげ(驚き)ますたよ。二人は裸で太ももに刺青をすていだものの、唐人のように頭のてっぺんにだけ髪を残すて周りを剃っていだのっしゃ(です)。
何で作った物が分がんねゃ(分らない)げども下帯(褌)を身に着げでもいますた。一人はイギリス人、もう一人はフランス人だと名乗ったのっしゃ(です)。
(環海異聞には、一人はアングリア国、一人はハランソースケ国とある)
凡そ十年も前、乗っていだ船が難破すて島に漂着すた、島の人達に助けで貰った。
今では島主の娘ど結婚すてこの島に住んでいるのだと言うべ(のです)。
何を書いできたのが分がんねゃ(分らない)げども、二人はカピタン様(ここでは新日使節のレザノフ)に書付を渡すていますた。
それがらカピタンは薪と水を買い入れだいど伝えだのっしゃ(です)。
島の人にもなった二人はオロシヤの言葉も分かるようですた。
カピタンが、先にこの騒ぎを何とか収めで呉れど頼んでいますたよ」

