津太夫はその実も唐黍も大量に買い付けていた、軍船に搬入したと語る。唐黍は軍船で飼う牛、馬、豚や家鴨等の餌にもなるのだと言う。
また、青い二、三十もの一塊の房とはコッコスの事ではないか。だが聞いていて確かめたくもなったのは、何故に二か月以上もこの地に滞在したのか、その理由と何時に出帆したのかだ。
(大槻玄沢の知識は椰子の実とバナナとの区別がつかず、「環海異聞」にはコッコスは椰子の実と記しながら、コッコスを紹介するにバナナの絵図を以って次の通り紹介している。
『コッコスを多く船に買い入れた。房になっている物が集まって一叢をなし、一体に緑色。一房に三筋の角が立って長さ二寸ばかり。初めは緑色であるが熟すると肉は黄色になる。青いうちに取って一両日置くと色はまた熟したもののようになる。房の内は色は白く、味の甘いことは木通の様である、仁子は無い』)
(参考図―早稲田大学図書館所蔵本、環海異聞に載る「コッコス」)
「信長公(織田信長)の頃に、我が国と交易をしていたのは葡萄牙という国だ。
南蛮人と言う言葉を聞いた事があるかの?。南蛮人とは(主に)ポルトガル人の事を言う。
のポルトガルと西班牙と言う国の船乗り達は天文、地理の学の進展と造船技術、航海技術の進歩に支えられての、大きな海へと乗り出した。
海を渡って己の手にしたい物を手に入れる。その利益追及が船乗り達からやがて国を挙げての物に代わった。
ポルトガルもスペインも香辛料や宝石になる鉱物等を求めて海洋貿易の拡大を望むようになった(後に大航海時代と称される)。今ではそれで和蘭、仏蘭西、英吉利、オロシヤまでもが海を渡っている。
武力を良いことにして行った先の土地を侵略し、己の国の街造りから、言葉、習慣等々を先に住むその土地の人々に押し付けてもいる。怪しからんと思えども、武力、力関係から世界は成り立っていると近年吾も覚えし所よ。
交易の発展に名を借りて己が国の繁栄を図る商人、軍人(国の要人)が居っての、ポルトガルが祖国と遠く離れたブラジルに土地を手に入れたのじゃ。
ナデジダ号の兵隊や太十郎が見たと言うのは、その侵略された土地に持ち込まれた欧羅巴の知識、各種の技術技芸によって発展した、ポルトガル人が作った街の発展そのものであろう。
昌永殿の知識も借りれば、エカテリナはポルトガルの造った街であろう。石造りの街、お寺の姿を聞けばそのように思われる。
ところで軍船は港に凡そ二ケ月も滞在していたと言うが、その理由が分かるかの?、
出帆は何時になった?」
吾の解説するを感心するが如くに聞きもしていた三人だ。質問されたに吾に返ったか。津太夫が応える。
「へえ。壊れた帆の修理に、帆柱となる材木の買い付け、造作に日数が掛かったのっしゃ(です)。
帆柱造りは見ても居ますたが、汗だぐだぐの作業で、すまい(終わり)には三人共少すばがり手伝に入りますた。
木の皮剝ぎなど指示する者の言う通りに出来たべ(つもりです)。そごん(の)所を見つけたレザノフ様から、感謝の言葉も頂ぎますた。
出帆は俺の覚えに十二月の二十八、九日頃だったべ」。
海路日誌からであろう、目の前の地図には一八〇四年二月八日出帆と、長崎(御奉行所)の朱が見えている。
聞かずも津太夫が話をつけ足した。
「南国どあればが?、名も知んねゃが(知らないが)、それはそれは実に綺麗な、極彩色の小鳥が居ますたよ。身体全体が青くて、嘴と鼻の辺りが赤で、鳴き声はキウキウ。
べろ(舌)を出すど、嘴で俺のべろを吸うのっしゃ(です)。
また、犬、猫も居ますたげど、尻尾の長い猿が居ますた。船の中で飼ってもみようど土地の人から買いもすますたが、飼い方が悪がったのが何なのがそのうず(ち)に死んですまいますた。
外にも船の中の退屈すのぎにと買いもすた物(動物)が居ますたが、どれもこれも死んですまったー。
住む所に気候も餌も変われば死にもする。可愛い可愛いど思っても、本当に可哀そうなごどすてすまったー。
買物をすん(る)のに、あそご(あの土地)では伊斯把你亜(スペイン)の金銀でするのだど教えで貰いますた。オロシヤの銭子をイスパニアのお金に変えでくれる所が有るなんて、初めでの経験だべ(です)。
