儀兵衛が(話を)続けた。

「いざ別れどなっ(る)ど(おら)も涙が出て来で止まんねゃがったー。(止まらなかったー)。

 荷物を積み込んだ舟を前に、残る六人一人ひとりと肩を抱き合ったのっしゃ(です)。これが今生の別れになっ(る)がも知んねゃ(知れない)ど思うど(おら)も皆も涙が止まんながったー。

 震えながら何が言いだそうにすて言わながった巳之助だー。小舟が岸壁(きす)を離れっと(ると)(きす)(づだ)いに追いがげで追いがげで走って来る()(し)、最後の最後まで俺達(おらだづ)に大ぎぐ手を振って居だ巳之助で()た。その姿を今でも覚えて居ん(る)べ。

 仲間内で一番若がったがんね(からね)。何で宗旨(すうす)替え()たのが、宗旨(すうす)替え()()がったのが・・・」

 黙って頷いた左平だ。

(おら)一杯(いっぺゃ)泣いだ。

 一緒に働いだ、遭難すた、腹も()かすた、寒さに震えだ、訳も分がんねゃ(分らない)土地で十年も暮らすた、

 励ます合って生ぎで来た。いざ(わが)れどなっと(なると)そんな(その様な)色んなごとが次から次ど頭に浮かんだべ(のです)。

 ガラフ様の家来とニコライ(新蔵)に予定の時刻だと促されで小舟に乗りますた。

追いがげで来だ巳之助がごどは儀兵衛さんの言うとおりだべが、さんざんお世話になったガラフ様ん(の)(どご)の御家来さん三人は、カナスダの港まで同行()ろど命令されだとニコニコ顔ですた。

 何年経っても、ガラフ様の御心遣いに(おら)は感謝感謝だー。カナスダ(港)は、(ガラフ様の)屋敷前から二十五里(露里。ロシアの一露里(ろり)一〇六七メートル)も先という事ですた。

 行くほどにネバ河の幅が段々に広く大きくなっていくのが分がりますたよ。少()ずつ、少()ずつ匂ってくる潮の匂いを嗅ぐのも久()ぶりで()た。

 着いだカナスダはペテルブルグへの港口になるのだど聞きま()た。明日(あすた)には使節船に乗り(うづ)るごどになっ(る)がら今日はこの(あど)、宿でゆっくるするが良いど御家来さんの説明で()た。先にも決めていだ宿だったみでゃですた(みたいでした)

 港(みなど)がらは陣屋だべが、三方向に向かって大砲が置いで有ん(る)のが見えま()た。来たばがりの都の方(方角(ほうがく))にだげは(大砲を)置いでねゃ(ない)のだどが。

 また、沖の方に目を遣っ(る)ど、大小の船の帆柱(ほばすら)一杯(いっぺゃ)有りますた。たまげだべ(驚きました)、あだがもそれが(ぞう)木林(きばやす)の如ぐで船の数たるや何ぼ(幾つ)、幾百艘ど数えられねゃ(ない)ほどで()た。

 その中に軍の船も有るとがで、何と一艘の軍船(ふね)に千五百人もが乗れる、船には野菜(やさい)(ばだげ)(菜園)がある、牛馬(うすうま)(うまや)も有るのだとお聞ぎ()て己の耳を疑ったべ(のです)」

左平が語るを津太夫と儀兵衛が首を縦にして追認した。

(カナスダは何処(どこ)に有るのか。大槻玄沢は北辺探事、環海異聞を纏めるに当たってその後に大黒屋光太夫に相談している。

 玄沢は光太夫から教授を受けた後に津太夫達が日本に持ち帰ったオロシヤ地図を改めて見て、カナスダは和蘭語地図で言う所のコローンスロット、ロシヤ文字からクロンシュタット(フインランド湾の軍港)と推測している。

 カナスダは陸続きの地ではなく、津太夫達四人が小舟から下船したのはカナスダの街、港を抱えた島であるとしている(環海異聞巻の十一)

(参考図―早稲田大学図書館所蔵、環海異聞に載る「カナスダ港の図」)