ト 宝物館(博物館)

 頬を拭って、語りだした左平だ。

「宝物殿の方もたまげ(驚き)ますたよ。

 ワシライツケと呼ぶ島の中にムスカームリという所(どご)があって、そごに石造りの大きな建物ですた。

(「ワシライツケ」も「ムスカームリ」も環海異聞巻の十に載る地名)

 中はぐるぐる回って見で歩ぐようになっています(・)た。それが、千とも万とも数えきれねゃ(ない)ほどの物、異物だらけですた。

 大ぎなものは像の骸骨(がいこつ)の一揃(ひとそろ)い。節々(ふすぶす)を繋ぎ合わせだのだと大きな象の姿形です(・)た。まだ、熊や犬など死んだ物の腹(はら)などに詰め物をす(・)た、目に玉(た)眼(ま)を入れだど、丸でそごに生ぎでいる熊や犬が居るがのようですた。他にも同ず様に造られだ獣(けもの)、動物などが一杯(いっぺゃ)あります(・)た。魚もいます(・)たよ。鳥もいます(・)た。

 大ぎなカラス(・・・)は金(かね)拵(ごすら)えにす(・)てあるとて、その羽を動がすて見せられだのにはたまげ(驚き)ますた。まるで生ぎでいるがの様だべ(なのです)

 まだ、大小の平箱(ひらばご)が何ぼも(幾つも)あって、覗いてみっ(る)ど何(なん)種類(すうるい)もの蝶やトンボ、バッタなどの虫(むす)(昆虫)があだがも生ぎでいるがのようにそのままに飾られであん(る)のっしゃ(です)。腐りもしねゃ(ない)のが不思議だべ(ですた)。

 大きな壜(びん)にあだがも長蛇(へび)がタスキのように巻き付(づ)いだ人の子の形をすたものがあったのっしゃ。聞いでも何と言うのが分がんねゃげども(分らないけれども)、薬(くすり)水(みず)に浸(ひた)す(・)てある、薬(くすりの)酒(さけ)に漬(つ)けであるのだとの事です(・)た。

 いやー、たまげ(驚き)ます(・)たよー。大難産の末に死(す)んだご婦人の腹を割(さ)いで出て来た物だと言うのっしゃ(です)。

 怪物ゆえにここに展示すているのだと聞いで、只々(ただただ)たまげ(驚き)ます(・)た」

「えっ?、御夫人のお腹から出て来た物だと?」

「へえ・・・」

「お腹(なか)を切り開いて出てきたとあれば、異国の医書(医学書)に言う胎児(たいじ)であろう。

 赤子になる前の人の形ぞ。まさにお腹(なか)の子、腹(はら)の子ぞ。

 長蛇(へび)のようにあったと言うタスキは、胎児がお腹の中で母親から養分を貰うための管(くだ)じゃ」

「はあ?・・・。怪物では?」

「ない、無い、怪物ではない。立派なお腹(なか)の子よ。人の子よ。

 それよりも、聞きし居れば凄い所をぞ見て来たの」

「んだべ。大槻様もそう思うべ(でしょう)。

 生き物だけでは無がったですよ。諸国の珍品や衣服(ふく)を集めだのだと言う部屋も有ります(・)た。唐(から)の装束(しょうぞく)、傘、履物(はきもの)もあれば中に日本の物もあります(・)た。

 んだども(しかし)、日本人の着る物だと教えられだ物は、言われで見ればそうにも見えもす(・)ます(・)たが何(なん)ぼが(幾つか)の単衣(ひとえ)、作業着だべ、繋(つな)ぎ合わせで作った物にみえます(・)た。

 家紋が付いでも有ったん(の)で日本の物だーど思えど、どれもこれも百姓(ひゃくしょう)や俺達漁師(りょうす)の着でいるものに見えで俺(おら)はオロシヤを訪れる(諸国の)人々が見るがど思うど恥ずがす(・)ぐも思ったべ(思いましたよ)」

 左平はこの後にも、この世に人は七十七種ある、そのため語る言葉も七十七種あると言う。宝物殿?に居る説明者がその様にでも語ったらしい。

 だが、何故に七十七種に限る必要があろうか。目の前にある地球絵図を観ていてそう思いもする。

 また、左平は島の中の「ムスカームリ」という所(どご)と言ったが、かつて光太夫殿(大黒屋光太夫)は島の中に「モスカラート」と言う所(ところ)が有って大変に物珍しい物を展示していたと言っていた。言い方、呼び方が違っても同じ建物を言っているような気が する。

 後に光太夫殿に確かめても見るが、保存された胎児の外に役立ちそうな医学医術の話が聞けなかったのは残念だ。聞いても居れば胎児の外に人体の各種臓器の、左平の言う薬(くすり)水(みず)漬けが有ったのではないかと思いもする。

(日本の)医学の進展のためにもその薬(くすり)水(みず)漬けの方法を是非にも知りたいと思うが、左平は確かに外にも薬(くすり)水(みず)漬けが有ったと応えるだけだ。吾にそのような質問をされるとは思いもしなかったみたいだ。

 最も、保存の方法よりも(日本の)腑分け(解剖)がもっと自由に認められるべきことが先か。残念、残念だ。

 津太夫はその建物の近くにもう一つの建物が有ったと言う。中に入って言われたとおりに螺子(ねじ)を回したら、世界の地図だと言う物が現れた、頭のてっぺんには月と沢山の星が現れた、夜空の作りものが現れたと言う。

 聞きもして驚きもするが、異国の書にある地球儀、天球儀の大きな模型であろうか。左平、儀兵衛にも聞けば、部屋の中で夜空を見ました、驚きもしたと言うだけでこれまた詳しくは分からないと言う。

 三人が一生懸命に説明してくれるが、聞いている吾等は己の想像力を働かせるだけだ。理解しがたいがオロシヤも欧羅(よーろ)巴(っぱ)もこの日本よりも医学も天文もはるか先に進んでいるとしか思えない。改めてそう思う。

「オロシヤの王様が造った宝物殿と言うか博物の館と言うべきものかの。それと、天球儀らしき物を安置している建物なのかの、それらをおよそ絵に描けるかの」

「へえ、粗々(あらあら)描いても見ん(る)べ(描いてみましょう)」

 右仲の注文に津太夫が応えた。

(参考図―早稲田大学図書館所蔵、環海異聞に載る「大きな天地球模型の収納所」と、月と星の模型(プラネタリウム)をみる漂流民)

 

 なお、「プラネタリウム」という言葉こそ無いが、ヨーロッパでは十八、九世紀に天文学が一層進展し、歯車を持つ天球儀が作られた、太陽や月、星の位置を動かす仕組みの物が作られたと記録されている。

 津太夫等が見た物はヨーロッパからオロシヤに移入された物、あるいは教えを取り入れてオロシヤ自らが製作した物と思われる)