思わず昌永の顔を見た。顎を引いた。そして、森島殿ですなと言う。吾は源内先生(平賀源内)の事も思った。
人間が空を飛ぶ。吾が江戸に出て来た安永の世に、初めて飛行の器(船)なる物の話を聞かせたのは源内先生だ。
長崎帰りの先生が示しもした飛行の器の絵図に、とてもとてもそれで人間が空を飛べるなど考えも出来なかった。法眼様(桂川甫周)等と共に一笑に付した思い出がある。
それが天明の世の終わり、法眼様御自身の弟になる森島中良殿の「紅毛雑話」だ。その書の序文を(吾が)書きもしたが、あの中に出てくる飛行の器の絵図に、成程、大玉を宙に浮かび上がらせることが出来たら、それに括り付けられた駕籠に乗る人は空に舞い上がれる。空から地上の物を見ることが出来ると思いもした。
そして今に、飛行の器は飛行船と習いましたと半年ほど前になるか倅(玄幹)の報告だ。大玉が空に浮く。人の載った駕籠が空に上る。その謂れ(原理)を語った志筑忠雄殿が思い出される。
(参考図―竹窓櫟斎著「平賀鳩渓實記」(鳩渓は源内の号)に掲載されている平賀源内の飛行船の図と、森島中良の紅毛雑話に載るリュクトスロープの図。再掲)
左平の語る空飛ぶ駕籠はまさに志筑殿の語る原理だ。温められた空気とそうでない空気との温度差を利用する。大玉の中に温めた気を押し込める。それが人の乗った駕籠さえも空に浮かばせる浮力になる。上手に操作すれば人間が乗った駕籠(熱気球)ば何里(何キロ)と空を飛ぶとことが出来よう。
浮力を「アルキメデスの原理」と言ったか。吾が長崎に遊学していた頃、願い事を書いて空に飛ばした紙の玉(天灯、ランタン)を一緒に見ていた友人(志筑忠雄)の顔が思い出される。
「お屋敷に帰ってその晩、夕飯の時にガラフ様に聞けば、あの大玉を「シャリ」と言うのだそうです。
オロシヤでは丸い玉の事を何でもか(ん)でもシャリと言うのだと聞きますた。
また、あの大玉も駕籠も無事に着いだのがとお聞きすたれば、何ぼが離れだ草っ原に着く約束(予定)にあったんだども大分手前に落づだと聞きますた。
んだども、俺達は見ながった後の日にもあの大玉を(空に)飛ばすて、そん(の)時には約束(予定)の所に無事に着いだど聞きますた。
王様もガラフ様も初めでに見だものですかと聞けば、そうだとの返事ですた。
他の国で造られだものだとの事ですた、遙か彼方の島から島へ海を飛び越えても居るどお聞きすて、俺達はまたまたたまげだのっしゃ(吃驚したのです)」
ふー。吾等に語って聞かせながらも、思わず溜息をついた左平だ。
この日本に気球船の絵図を持ち込んだのは二十年数年も前、カピタンだ。(気球船は)最初に仏蘭西で作られた、欧羅巴で大いに話題になっていると(吾とて)カピタン御一行に聞きもしたが、その和蘭人等も話に聞くだけの絵図だった。
実物を目の当たりにして日本人が語るは左平等が初めてともなる。右仲が、大玉も人が乗る駕籠も、また、その見学の場の様子を絵にしたいと語る。それを「良し」とした。

