津太夫が静かに語りだした。
「俺達を良ぐ知るニコライ(新蔵)が、俺達のイルクーツクでの生活のごども、日本人の親子、兄弟の心情も足すて通弁すてくれだのっしゃ(です)。
新蔵さんを(ペテルブルグに)連れで来で良がった、王様の前まで付いで来て貰って良がったどつくづく思いますたよ。
王様は帰りでゃ(たい)と語った俺達四人、一人一人の肩を軽く御叩ぎになって、其方等の様な身にあれば帰りでゃ(たい)と思うは人の情、国が違えども皆同ずだと語ったべ(のです)。
それを聞いで、本当に帰れる。日本に帰れん(帰れるの)だど思いますたよ。
六十(歳)にもなる俺の身体の震えがながなが止まりませんですた。
王様は俺達に単に同情すたのか、何が別なごどがあったのか分がんねゃげども(分らないけれども)、十年は長がったなど言いながら涙ぐんでも呉れだのっしゃ(です)」
少しの静寂が流れたが、その時、王様以外の他の皆さんは如何していたのかと聞いた。
「へえ、弟御様が、日本人が信仰する神様はどういう物がど御聞きになりますた。
(日本は)キリスト教御禁制ど知っていでの質問の様ですた。
んだども、王様が少すばかり語気を強ぐすて、聞くに及ばぬと言ったのっしゃ(です)
その王様も若げれば、王女様もまだお若い方です。恥ずかすかったんだべが(のでしょうか)、王女様は俺達の方に近づいで来るごどもなぐ、座ったまま王様のなさるごどを見ているだけですた。
明るい色の大層立派な着物で着飾り、胸には金の玉を貫いだんだべ(貫いたのでしょう)数珠のようなものを垂らす、耳にも大きな輪っこの飾りを付けでいますた。
お座りになっている椅子も金糸銀糸で出来だ物で、母后様もその横の同ず様な椅子に御座ますた。
母后様もまた着飾り、胸に金と光る石、耳に飾りを付げでいますた。お二人が傍には着飾った五、六人の御女中が居ったべ(居りました)」
「王女様は、あの絵に有ったご婦人じゃな?」
「へえ、王様と御一緒のあの画(肖像画)だー。
王様の御年齢は二十七(歳)と後でお聞きすますた。
王女様はもっと若かったべ(でしょう)」
(参考図―早稲田大学図書館所蔵本、環海異聞に載る「オロシヤ当国帝夫婦肖像」
「王様、王女様、母后、弟御の名を何と言う、知っているか?」
「へえ、ガラフ様のお屋敷に戻ってがら、何時も俺達等の身の回りの世話をすてくれでいる家来(従者)に聞きますた。
王様の名はオレキサンダラ・バウロウィチ、弟御はコシノキノ・バウロウィチ。
母后様はマリア・ヒュータロオナと聞いたべ。
女王様の名は・・・」
(人名表記は環海異聞にある。オレキサンダラ・バウロウィチはアレクサンドル一世(アレクサンドル・パブロブィッチ、在位一八〇一年から一八二五年)である)。
「聞かなかったべ」
儀兵衛の言うに、うん、うんと左平は首を縦に振って同意を示した。そして言う。
「王女様は独逸とかいう国から嫁に来たど聞いだべ(聞きました)。
年齢は聞がながったー」
今度は吾が首を縦に振った。志村殿を見れば、確かに名も控えても居るらしい。
「母后様、弟様のお顔を覚えているかの?」
右仲の質問に津太夫等三人が顔を見合わせた。記憶が確かでは無いらしい。
