チ 王宮と拝謁

俺達(おらだづ)が明日に王様に会うと伝えられだのは、ガラフ様のお屋敷にお世話になって十四、五日()てからで()た。

 五月十六日の朝、ガラフ様は先に御屋敷を出ま()た。勿論、お供連れで六頭立ての馬車ですた。

 俺達十人は四頭立ての馬車に揃って乗せられだのっしゃ(です)」

「一つの馬車に十人が一緒?・・・」

「へえ」

 当たり前だと言う顔の津太夫だが、多くが一遍に乗る駕籠などこの日本(ひのもと)には無い。

「何時もは三つ、四つに分がれで四頭立て(の馬車)で町中見物等に出がげでいたべが(のですが)この日は違っていま()た。

ところどころ金の金具で飾られた馬車です、大きな馬車で()た。

 駕籠の横腹(よこっぱら)がら乗るのっしゃ(です)。

 中はコの()型にも、真ん中にも前を向いで座る所がありま()た。十分(ずうぶん)な広さで窮屈(きゅうぐづ)ではねゃのっしゃ(ないのです)。

 着いた王宮の門には、両側に鉄砲を持った番人が立っていま()た。そこを通って中に入るど、馬車を横に五両並べでも自由に行き来できるほどに広い(みず)になっていま()た。

 降りで、皆が大きなお城(宮殿)に目を見張りま()た。遠くで見でいん(る)のど違うべ(違っていますからね)。

 勿論、石造りだー(です)。外がらはガラス窓(環海異聞には「硝子障子」の表示)の有り様から五階()てのお城(宮殿)だと分りま()た。

 んだども、中は入ってすぐに緩やかな(のぼ)りになっていで案内されるままに後を付いで行ったべが(のですが)、着いだ(どご)が何階になん(る)のが直ぐには分がんねゃ(分りませんでした)。

 その歩いた所も部屋も板敷(いたず)ぎで、皆が皮靴を履いだまま行き来すん(る)のっしゃ(するのです)。(環海異聞に「皮靴」の表記)

 硝子障子で仕切られた部屋が続き、窓の無い壁の方には半間置きに丈が一丈二尺(約三・六メートル)も有る大鏡(おおかがみ)がはめ込まれでいだのっしゃ(です)。

 んだがら、通るどの部屋も明るくて明るくて(すご)ぐ綺麗で()た。

 初はず)めで見る人は誰でも、おおーっと思うべ(でしょう)」

 到着してそのまま謁見の場に行ったようだ。宮殿の中に入ると直ぐに緩やかな坂を上がった、大鏡の有る幾つかの部屋を通過した、女王が待つ謁見の場に行ったと光太夫殿(大黒屋光太夫)も語っていた。

「オロシヤの立派な服を着た方々が四、五人並んでいま()た。

 皆々背っこが高いべ(のです)。

 また、誰もが左の胸に陽の加減で光もする丸ぐで花のような形を()た物どが、綺麗な色の札の様な物どがを付けでいま()た。お偉いお役人様なんだべ(なのでしょう)。

 その中の一人がら年齢順に並べど指示(すず)がありま()た。(おら)が一番目だべ(です)。

んだども(しかし)後で分かったべ(のですが)、王様に向がっては横一列(いずれづ)()た。

 この地に留まりでゃが(たいか)、帰国すたいがど一人一人が王様に聞がれる。そん(の)(どぎ)には各々が今の気持()を申()上げるようにど言われま()た」

 頷きながら、並んだ役人の左胸に有るは「勲章(くんしょう)」と言う。それぞれが違ったものを胸にしておったろう、それまでの功績によってそれそれが王様から頂いた物だと説明した。

 へーっと声にしたは左平だ。王様の食事時間にも当たったとかで、そのまま半時(約一時間)ほども待たされたと語る。

(環海異聞の巻の十からは「帝王」の表記がところどころに有るものの、大概はオロシヤの皇帝を「国王」と表記している)

 ガラフ様が先頭に立って王様をお連れしたと語るは津太夫だ。

「王様を先(先頭)に、母后様、皇后様、王様の弟だという方が続いて一緒に出て来られますた。

 王様が左手に母后様のお手を取って出て来たのに少()ばかりたまげ(驚き)ま()た。(おら)は、親孝行の第一だべ(だろう)と思いま()たよ。

 王様の姿格好は大()た威厳があり、勿体なぐも恐れ多ぐもど思ったべ(のです)」

左平も儀兵衛も頷いた。

 儀兵衛が言う。

「何と言うのが呼ぶのが分がんねゃべが(分りませんが)、王様も弟御様も右肩から左斜め(すた)、腰の辺りまでお坊様の袈裟にも似た物を身に()ていま()た」

「うん、先に見せても貰った、太十郎が購入したと聞くあの王様の絵じゃな?、

和蘭(おらんだ)等異国の本に王様の一族、男は皆あのタスキ(・・・)の姿格好ぞ。

 特別の日に身に着けるとも聞いても居れば、日本人(にほんじん)の姿格好にさせられたとても、国王は其方(そなた)()を歓迎したと言う事にもなろう」

 三人が揃って、「ヘえ」と声を出して応えた。

(「タスキ」様の物を「(しょく)(しょ)」と言う。環海異聞巻の十では「レンタ」と表記している。飾諸は欧羅(ヨーロッ)()でナポレオン一世(ナポレオン・ポナパルト)の時代に始まったとされ、勲章の一部と解されている)。

「俺達十人は揃って平伏すて、王様にご挨拶()ようど()ますた。

 そすた(そうした)ら、ガラフ様が慌でで()めに入りますた。

 傍に付き添っていだお役人様が、この国では立ったままで挨拶をするのだと(おす)えでくれだのっしゃゃ(です)」