手を挙げて津太夫の語るを区切らせた。志村殿に記録出来ているかと尋ねてからに聞いた。

「使者一人だけ?、付き添いの下役人はいないのかの?

 御奉行様の交代時には付き添いの下役人が何人も居たではないか。

使者一人が其方(そなた)()を連れて行ったと?」

「へえ。んだ(そうです)」

「・・・・」

 思わす、横の昌永も右仲の顔も見た。

 志村殿が頷きながら、己の目の前の紙を新しい物に変えた。

「町年寄様が街外れまで見送りに来てくれま()た。

 俺達は馬車に乗りま()た。馬車は七つ用意されでいま()た。

 人が乗る所は皮張りの囲いだべ(です)。中は向がい合って座るようになってんべ(いました)」

 吾の疑問に構わずも、津太夫が語る。

「先頭の馬車に使者が一人で乗り、俺達(おらだづ)は二人、三人に分がれで乗ったのっしゃ」

 かつて光太夫殿(大黒屋光太夫)にキビッカという乗り物だとお聞きしたことがある。確かめても見た。

「んだ。(たす)かにそう(キビッカと)呼んでだー。

 前にも話すたべ(お話したでしょう)、先頭の馬には鈴が付いでん(る)のっしゃ。(です)

 鈴の音が先に聞こえる駅では引き継ぐ次の馬を用意すてますた(していました)。

 たまげだー(驚きました)。どの駅に着いでも宿でも、あの鷲(双頭の鷲)の絵の付いた皮袋を肩に()た使者に、皆々が(うやうや)()くお辞儀を()て恐れるような仕草(すぐさ)だったのっしゃ(です)」

「その馬車と鷲を絵にしたい。

 教えて呉れるか」

「へえ、先に渡()た、書き控えだ物の中にあったはずで御座(ごぜゃ)ますが・・・」

「うん、見てもいる。鷲に足も有ったの。

 それでの、あのオロシヤの王様の絵のように双頭の鷲を色付きにしたいのじゃ。

覚えている所で良い。教えてくれ」

 納得顔をした津太夫だ。

(参考図―早稲田大学図書館所蔵本、環海異聞に載る「車馬(馬車)」と「ロシア国船印の小籏」)

 

「都へ(のぼ)途中(とずう)に、粉を引く小屋だと言うのを一杯(いっぺゃ)見ま()た。

 オロシヤには米がねゃ(無い。有りません)。

 麦(小麦)を粉にする風車(ふうしゃ)どが呼ぶ物ですた。俺達が目にする、子供が手にする風車(かざぐるま)()デカ(・・)()た物だー。

風(の力)で動か()て、その先っぽに取り付けである(きね)が小麦を粉にすんだど(するのだと)聞いだー(聞きました)。

 その小屋の続く(さま)(風景)は印象に残る物で()たよ」

「それもまだ絵図にしよう、教えて呉れ」

 ニコリとした左平だ。

 津太夫と左平と右仲が話し合う間を暫しの休憩の時とした。その間も志村殿は己の書き控え帳から目を離さない。また、お茶を口にしながらもオロシヤの地球絵図に目を遣る昌永だ。

 オロシヤ文字(もじ)の地名や町の表記は和蘭文字に似てもいる。だが、昌永も吾も確かに読めもしない。その綴りには和蘭の文字にも英吉利の文字にも無い文字が入っているのだ。

 ふーふー言いながらのお茶は、寒い日には心まで温まる。吾の質問から再開した。

「八年も暮らしていたイルクーツクに(王様から)都に来いと呼び出しが掛かった。

 その時までに亡くなった者が三人。ペテルブルグに向かったのは十三人。その途中、病気で三人が引き返し王様に拝謁できたのは十人。

 十人の中で既にオロシヤの宗旨(しゅうし)に心を動かしていたのは四人。残る六人の中でオロシヤの宗旨(しゅうし)を奉る、オロシヤに残りたいと王様に申し出たのは茂次郎と巳之助。

 それで其方(そなた)()四人が日本に帰るお許しを得たと聞きもした。落伍した三人の病気は何だったのかの?、分るか?」