セ イルクーツク発、ぺテルブルグ道中記①

 何時もの(聞き取り)調査がための部屋を覗くと、志村殿も昌永も、松原も()うに己の席に就いていた。

「待たせたの、今日も宜しく頼む」

「いえ、吾等も座ったばかりに御座います。

 今、津太夫殿等が、お茶を淹れて呉れるとの事に御座います」

 言っている先から、津太夫殿を先頭に褞袍(どてら)姿(すがた)の三人が姿を見せた。急須、湯飲み茶碗の乗るお盆を手にしているは儀兵衛、左平が大きな薬缶(やかん)を手にしていた。何時もはこの時刻、末吉もお京も着ているはずだが家の方に何か用事が有ったか。

 着席したばかりに津太夫が言う。

「外は寒かったでしょう。今日は寒の入り(現代で言う大寒)。

 寒の入りを語れば殊更に寒くも思われで御座(ごぜゃ)ますが、間もなくに春が来る、節分が近い。そう思えば、もう少()(すん)(ぼう)ど胸にも(あだま)にも希望を()くごどが出来っぺ(ます)。

 今日もまだ、宜()くお(ねげゃ)()ます」

 言葉と裏腹に、(聞き取り)調査を早く終えてくれとの催促(さいそく)にも聞こえる。

「実は、其方(そなた)()がオロシヤから持ち帰ったと言うオロシヤの地球絵(図)、

 御屋形様に献上した地図を、今にこの江戸の(仙台藩)番頭役に在る平賀様(平賀蔵人義雅)から一昨日(おととい)にお借りすることが出来たでの。

 今日は、それに従って聞きもしたい」

 オロシヤが地図を広げた。津太夫は驚きもしなかったが、残る二人は珍しそうにも見る。

「この地図を見れば今までに聞きもした島や町の位置、町の名の凡その読みが知れる。イルクーツクからペテルブルグへも長い  道程(みちのり)じゃの。

 モスクワと言う町の名の綴りも、そこから北に向かったと言うこともこの地図で良くに知れる。

(環海異聞に「莫斯哥」の表記。ムスクワ又はモスコウと呼ぶと有る、以後、モスクワ)

 昨日の終わりは、ペテルブルグからイルクーツクに呼び出しの使者が来たとの話じゃったの。そこから話して呉れぬか。

昨日の最後の話は良くに分かりもした」

「へえ。王様の居る(みやご)には吾等十三人が揃って行くごどになりま()た。

 それが(オロシヤの)王様の命令でもあったのっしゃ(のです)。

 新蔵殿が聞き()げで俺達(おらだづ)等に同行()たいど申()出だんだ。

 だども(しかし)お奉行様は、(王様の)都(ペテルブルグ)に来いとの命令は漂流民だけの事だど聞き入れながったど聞きま()た。

 それで、何がど吾等の世話を焼いでいだ町年寄様が吾に、其方ら遭難すた者の方がら日本語の通弁役と()て新蔵を同行させでゃ(同行させたい)、王様以下(いが)皆々様に俺達(おらだづ)の言葉(日本語)で御迷惑をかげられねゃ(ない)ど申()出るが()いど、知恵を呉れだのっしゃ(です)。

 んだども(それでも)お奉行様は、都(ペテルブルグ)にも日本語の通詞(つうず)は居るど難色を示()たべ(のです)。だども(しかし)最後には新蔵殿の同行を許()て呉れだー。

 長旅であっごど(あること)、吾らが無事(ぶず)にペテルブルグに到着()て呉れねば困るどの考えだったんだべが(だったのでしょうか)。(考えを)変えだ理由は分がんねゃ(分りません)。

 都からの使者(すしゃ)は、右にも左にも向いだ(わす)(双頭の鷲)の絵の付いだ皮袋に、道中通過の許可状だべ(でしょう)、その証文までも持っていだのっしゃ(です)。

お奉行様以下皆々が使者に向がって(うやうや)すぐ(しく)右手の平を頭近くに寄せだり、左胸に当てだり()て挨拶(敬礼)すんだがら(するのですから)、王様の威厳は大すた()ものだったべ(大したものなのでしょう)

新蔵殿も吾等ど一緒に都に(のぼ)るごどになったのっしゃ(です)。

 三月も七日だったべ(でした)。俺達十三人に新蔵殿、迎えに来た使者一人でペテルブルグに向げで出発すますた」