そこまで言うと、津太夫の顔が一瞬明るくなった。
「(俺達の)世話を焼く町年寄りがら御奉行様の家に集まれど言われだげど、その時には何のために呼び出されたのか分らなかったのっしゃ(です)。
御奉行様は、其方達を早々に都、ぺテルブルグに連れで来いど王様に命令されだ使者が来た、急ぐごどだがら各自(居所へ)引き返すて至急に出発の支度をせよ、お世話になっている人に伝えよ。急ぐこと故、余計な物は持つな。ぺテルブルグに行けば何でもあるどのごどですた。
その帰り道、お国に(日本に)帰れるがもすんねゃな(帰れるかもしれないね)との町年寄の話に、十三人誰もが驚きど嬉すさが入り混ずって興奮すますた。
んだども(しかし)、俺は善六、辰蔵、八三郎、民之助のごどが気になって気になって、如何すべ、如何すべ(如何しよう、如何しよう)ど思いますたよ。
四人は当たり前に(オロシヤの)寺院に出入りすていだがん(ら)ね(していましたからね)。
御国の事(鎖国、キリスト教御禁制)を思えば、恐ろすぐも思えだのっしゃ(です)。
国許でも江戸でも俺は見だごどが無がったども、昔に聞きもすていだ耶蘇様(キリスト)がごどで獄門、首切り(斬首)、磔のごどを思った(想像した)のっしゃ(です)」
「この国では今の世にもキリストとか天子様とかは口に出来ぬ。
障りの無いよう、口にせぬ方が良い。
今日はこれまでにしょう。ぺテルベルグと言えば帝王への謁見が御座ろう。誰が拝見の世話をしてくれたのか、帝王の住まいは如何にあったか、拝見の場は如何あったか、
また、ぺテルベルグの町は如何有ったのか等々色々と聞きたいことも多く有るでの。話が長くなりもしようから明日にしよう。
もう暮六つ(午後六時)に近かろう、腹も減ったろう。
陽は長くもなったが、まだまだ夜は冷えるでの、風邪を引かぬよう用心せよ。
吾らはこの後に今日に聞きし事どもの幾つかを擦り合わせることも、また、明日に聞くことも打ち合わせねばならぬでの。
何時もの通り、お京に末吉が食事の用意を手伝っても居よう。
如何だ?食事は満足しているか?」
「へえ。何時も御配慮頂き、有難う御座ます。
毎度毎度勿体ねゃ(ない)食事で、これで良いのがど思いながらに頂いてっぺ(います)。
お言葉に甘えで、今日はこれで下がらせで頂ぎます」
儀兵衛も左平も、軽く会釈をして津太夫の後に続いた。