コ 三人の涙
指図通りに握り飯とお茶を用意してくれた末吉と小春だ。毎日、漂民三人分に聞き取り役の吾等四人分までも食事の用意をするのだから、それとて容易では無かろう。
沢庵と梅干しの塩味も丁度良い。巻かれた海苔も良い。腹ごしらえの時は一休みにもなる。
お茶を飲みながら、涙を見せた左平だ。
「何べん見でも口にすても、おにぎりを手にすっ(る)と田舎を思い出すべ(出します)
俺の子も大きくなって居んべえ(居るだろう)。
儀兵衛が続いた。
「後、何ぼ(何日)掛かんべ(掛かるのでしょう)、俺も早ぐ帰りでゃ(たい)」
それを聞いた津太夫だ。
「大槻様達を困らせるわけではねゃのっしゃ(無いのです)。
んだども、俺も早ぐに石巻に帰りでゃ。
寒風沢(島)の家族に早ぐ会いでゃ(たい)」
それだけ言うと万感の思いがこみ上げたか、三人が揃って涙を流す。聞く吾等四人、為す術無しだ。暫し待つ。
そして、津太夫がそっと語りだした。
「(廻船問屋、米澤家の)旦那様にご報告すねゃば何ねゃ(しなければならない)
俺達四人が帰って来たげど(けれど)、若旦那(若宮丸の船頭、平兵衛)の死んだごどを報告すなげればなんねゃ(しなければならない)、
それを思うど、死んだ者、オロシヤに残った者、一人一人の顔が思い出されで後がら後がら涙が出てくん(る)のっしゃ(です)。
この頃は、寒風沢(津太夫の出身地)、石巻の夢ばがりでねゃ。
これがらイルクーツクでのごど、八年もすて(経過して)オロシヤの王様(「環海異聞」には帝王とある))に呼ばれでペテルブルグに行ったごど(環海異聞に「伯多琭蒲尓孤」の表記。以後、ぺテルブルグ)、会ったごど。(日本に)帰って良いよどお許すが出て軍船に乗ったごども話すどなっ(る)と、後何日掛かんだべ(掛かるのでしょう)」
「・・・・」
聞かれても直ぐには答えられない。彼等の心情は吾等四人とて痛いほどに良く分かる。後に七夜(一週間)かかるか十日ばかりか、早くに解放してやりたい。
吾等とて御屋形様に早くにご報告しようと、昼に聞きし事を夜に四人で話し合い確かめもして、それから夫々に己がすべきことをしているのだ。
頼みもせずとも日参している昌永も右仲も、藩と己が今にどの様に有るかさえ口にしなくなった。とうとう皆がこの屋敷の一隅に泊まり込みもするようになってもいるのだ。
「気持ちは良くに分るでの。
御屋形様に奏上するに、話の順序だてその他のことは聞かせて貰った後に、其方等が石巻や田舎に帰った後にも日を継いで吾等が整理もする。
それ故、もう少し辛抱して呉れ、
先ずはイルクーツクでの八年間を話して聞かせてくれぬか?」