ケ イルクーツクへ道程
儀兵衛の話が続く。
「ヤクーツクからイルクーツクまでも長い長―い道のりですた。
ヤコーテ(馬方)に聞けば、二千五百里(約二六六七キロメートル)と言うんだがら(言うのですから)たまげだべ(驚きました)。
ただ、オロシヤの一里が日本の一里と同ずなのが俺達には分がんねゃ(分りません)。遠い、遠い、長ーい道のりだったのは確かだべ(です)」
光太夫殿(大黒屋光太夫)に一度は聞きもしたオロシヤの里だが、改めて教えて貰う必要がある。
(日本の一里は約三九二七メートルとされるが、ロシアの一里(一露里)は約一〇六七メートルである)
吾も昌永も儀兵衛の語るを聞いて少しばかり書き控えもするが、志村殿と右仲が手先は休まず、忙しい。
「時季がオロシヤでは真冬に成るべ(成ります)。
イルクーツクまでの大きな川は凍り付いでいますた。
(氷が)なんぼ(幾ら)厚いのが分がんねゃ(分らない)げども、氷の道が自然に出来上がっていだのっしゃ(です)。
川幅がそのまんま道になってん(いるの)だがら、氷と雪の広―い原っぱ(原野)ですた。
山坂を上り下りするよりも早ぐ前に進めるのっしゃ(進めるのでした)。
かんずぎ(かんじき)を履いだ何頭もの馬が、幌の中に在る俺達をイルクーツクに連れで行ってくれだのっしゃ(です)。
先頭の馬には鈴を付けでありますた。(鈴は)シャンシャンと響ぐ音を今でも覚えでいんべ(います)。
音を聞き付けだ次の駅では馬を用意すていますた。生活の知恵だべ(でしょう)」
「その馬橇と幌の絵図もあらあら書いてくれるか」
「へえ」
(参考図―早稲田大学図書館所蔵本、環海異聞に載る「雪車(馬橇)」)
傍から左平が言う。
「イルクーツクへの途中に珍すい物を見ますた。
日本では海の水を煮詰めで塩を作くんべ(作りますよね)。
んだが、途中に有ったオスコク(土地の名)どが言う所では井戸みてゃ(みたい)のがあって車仕掛けで水を汲み上げ、釡にそのまま流す込む仕掛げですた。
それを煮っ(る)と、塩に成る仕掛げですた」
「面白そうだな。その絵も(粗々)書いてくれるか?」
右仲が笑みを添えて頼む。
承知したと応える左平だ。得意顔になった。

