「俺達がイルクーツクに到着すたのは年の明けだ寛政八年丙辰(西暦一七九六年)、
正月も下旬(二十四日)ですた」
「その前に、ヤクーツクはどんな所だったかの?、(それを)教えて呉れるか?」
津太夫を見た儀兵衛だったが、続けて応えた。
「へえ。お奉行様と出立すたのが八月(八月十八日)ですたが、着いたヤクーツクは十月(十月十三日)でもう冬ですた。(西暦一七九六年十一月十九日到着になる)
オホーツクからヤクーツクまで三十日と聞いでおりますたが、雪山の道中に実際は五十日余りも掛かったのっしゃ(のです)。
食べる物が底を付きそうで怖かったべ(怖かったのです)。誰もが一日一食の日が続いだのっしゃ(のです)。荷を担ぐ馬だって同ずだー(同じです)。
遭難すた船の時ど同ずで、ヤクーツクに着いだ時は涙が出ますたよ。
ヤクーツクには凡そ四十日居だべ(滞在した)。山坂の疲れを取るには皆が良い休憩ですた。
その先イルクーツクまでの馬の確保、駅ごどの馬の手配に馬の飼料、人の喰う食料から水、防寒着等まで補充が必要だったー(だったのです)。
町に出れば賑やかですた。家(家屋)は凡そ二千軒も有ったべ(有ったでしょう)。
人の住むどごろ(所)は木造ですたが、役所とお寺は石造りでどれもこれも大ぎがったー(かったのです)。
お寺が九つもあるど聞いで驚きますた。四角張った石造りがお役所で、建物のてっぺんが丸いのは大概お寺ですた」
「そのお寺は日本みたいに天井が高くなっているのかの?、
建物の奥の真ん中に、大層な御仏壇に大仏様がデンと置かれて有るのかの?」
吾もオロシヤの寺と言う物がどんなものかと思いしに、先に松原の質問だ。
己の胸の前で右手を何度か横に振った津太夫だ。
「お寺の中は高べ(高い)、高―天井ですた。てっぺんに行ぐほどに丸みを帯びでいんのおっしゃ(います)。
中もまた材木ではねゃ(ないのです)。皆、石で出来た物、石を積み上げだ物、石を彫って造った物ど聞いでただただ驚きですた。
窓という窓は赤、白、青色、黄色など様々な色で出来たスチクロー(ロシヤ語の綴りはCtekjio、ガラス)と言う物がはめ込まれでいんべ(います)。
寺によってはそのスチクローに何人もの天子様が描がれでっ所も有りますたが、大抵はなんぼがの(幾つかの)色のつきスチクローが嵌め込まれで御座ますた。
陽を受けでそれが鮮やがに光り輝ぐ様は、それはそれは見事な物だべ(物で御座います)。寺の大きさも、光り輝ぐ窓も日本で見るごどなど御座ゃません(御座いません)。
信者に非ずと、誰でも教会の中(内部)を見るごど出来ん(る)のっしゃ(です)。
どの寺も入口がら一番奥にキリスト(ロシヤ語の綴りはXpnctoc)とか言う天子様が十字架の上に居ますた。
(人々は)見上げるようにすて手を合わせ、天子様を拝むんだー(拝むのです)」
聞いて驚きもするが、色鮮やかなガラスの彩りはあの長崎、吉雄先生(吉雄耕牛)の和蘭屋敷でも見た物かと想像がつく。
右仲が二、三聞きもして注文した。
「その寺の外観と内部の素描を描いて呉れるかの。
あらあら書き現わせば、後で(其方等に)聞きながら(吾が)絵に仕上げるでの」
右仲が希望を優先させた。民家の造りは如何だったのか、後に聞きもしよう。
(参考図―早稲田大学図書館所蔵本、環海異聞に載る「寺院の内部」)
「ヘえ、承知すますた。
んだども、街ん(の)なかで、木で作った足、杖ついで歩いでいる人を何ぼも(何人)見がげで、それがあのお寺の立派なごどよりももっと印象に残ってんべ(います)。
気の毒で、気の毒で・・・。
あのオロシヤでは寒さで手足を失うごどが多いんだど、改めで思いますた。
