(もや)が消えた途端に目の前に氷で出来た高山が現れたとは何のことか分かりませんでしたが、この絵を見て成程と思いましたよ。

 これで、海というのか土地というのか、津太夫殿が語る北の果てを想像出来ました。

 山々、絶壁は皆々氷で出来ていると言うのですから驚きです」

「まさに、(こおり)の山、氷山(ひょうざん)じゃな」

「はい。そう言えましょう。

 オホーツクとか言いましたか。そこで見たと言う犬が引っぱって走る雪車(そり)(そり))という物も、聞きながらに少しばかり手を加えるだけで良かろうと思いました。

 何頭もの犬を繋いでこのように有るとは思いもしないことです。

 氷窓で明かりを取る家や、屋根に乗る突起から煙を吐くと言う家(家屋)の造りなども、この絵図に少しばかりメリハリをつけただけで良いかと思います」

(参考図―早稲田大学図書館所蔵本、環海異聞に載る「犬の引く大雪車(橇)」と「氷窓で明かりを取る家」)

 

 

「吾は絵図に(うと)いが、其方の銅版(画)にすればより鮮明な物になろう」

「はい。陰影をもっとはっきりしておいてそのよう(銅版)にすればより確かな絵になりましょう。

 津太夫殿に教えて頂きながら、確認しながらの作業になります」

「今日の話しにも有ったが、彼らは早くに田舎に帰りたいのじゃ。

 無理もない事じゃがの。

 それ故、聞くことも絵にすることも急がねばならぬ。

 明日は続き、この素描(絵)にも有るオホーツクと、ヤクーツクの事を良くに聞こう。

イルクーツクでの八年間の生活を聞くに進めれば良いが・・・。

 津太夫等が見た物、語る物、絵にした方が良かろうと思う所を是非に絵にして下され。

この他にも、(話を)聞いて絵にした方が良いという物がきっと御座ろう。

 太十郎が病に有るのは、実に残念としか言いようがない。

 世話を掛けるが、松原殿は明日も来れるかの?」

「はい。藩(備中国、松山藩)には何とか都合を付けましょう。

 オロシヤ語が分からずとも素描を見れば一層関心が湧くという物。

 戻って、二日ばかりも藩からお暇を頂きましょう。

 何、休みらしい休みを暫く頂いてもいなかったれば、吾が言うは(藩にとっても)無理難題では御座いませんでしょう」

 昌永(山村才助、土浦藩)は、明日も同伴させて下さいと自ら先に言う。有難い。吾も志村殿も大きく頷いた。

だが、はっきりと言っておかねばならぬ。

「山村殿に先にも頼んだことだが、松原殿にもお願いが御座る。

 この聞き取り調査が事は、勿論のこと()が藩のお殿様、仙台藩お歴々の合意があってのことだが藩の隠し事、秘事に御座る。

 漂流した水主(かこ)四人は凡そ十二年もしてオロシヤから(日本に)帰って来た。

 送り届けたオロシヤ船の将軍(艦長、クルウゼンシュテルン)と皇帝からの役目を負って来たと聞くレザノフ(遣日大使)は、この日本(ひのもと)との交易を認めるとした白河侯(松平定信)の名が(しる)された信牌を持参して来た。

 だが、御上は交易を認めず、凡そ半年もして長崎からそのままに帰国させた。

 いや、追い払ったとも言うべき処置だった。

 相も変わらず(長崎の)、出島以外に世界に目を開かぬ幕府の対応ぞ。

(吾は)思うところ色々と意見も御座るが、此度(こたび)の調査がことで御上(幕府)からお(とが)めがあってはならぬこと。それ故、(水主に)聞きもした事、知った事どもは一切他人(ひと)に話してはならぬ。

 如何様(いかよう)にも漏れてはならぬことゆえ、吾も志村殿もまた山村も、調査が事で得た事(情報)は己の日記にも控え等にも一切書き残さぬと約束した。

 松原殿もこの事、固約束下され」