身近に必要な物、大切な物ど言えば銭子だべが(でしょうか)。
金銭、銀銭、銅銭等を(日本に)持づ帰りますた。だども(しかし)、こどごどぐ長崎(長崎奉行所)で御上がお取り上げになったべ(なったのです)。
替わりにそれに相当する日本の銭子ば頂きますた。
オロスヤの王様はかつては女王様だったと聞きますた。銭子の表にその女王様(エカテリーナ女王)の顔があったと聞きもすますたが、俺達の手にすたものは大概、動物や鳥の絵、木の絵、オロシヤの字を刻んだものだったのっしゃ(ものでした)」
女王の絵の付いた銭は法眼様にも光太夫殿にも、また磯吉殿に見せて頂いた事だ。時と共にオロシヤの世に流れる銭さえも変わっていたということか。
「持ち帰って後に全部に目を通させてもらうが、今に見させて貰いながらに質問もする。
話が島を見つけたばかりの最初の頃に戻ったりもするが我慢して(答えて)呉れ」
「大分に草臥れたかの?」
「はい、聞き取り調査は初の事なれば疲れもしましたが、驚きの連続です。
太十郎殿と言いましたか、何歳になられますかな?
津太夫殿は・・・」
「うん、太十郎は三十五(歳)、遭難した時には二十三歳と聞いておる。
津太夫は今に六十一(歳)かの」
「そうでしたか。
素描と雖も絵心が無ければこのように描きも出来ますまい。
お二方は良くに物を観察しておられる。津太夫殿もきっと若かりし頃から絵に親しんでいた方だったのでしょう。
どちらが描いた素描か聞きもしませ何だが、この穴に住む土人の様子と言い、(土人の)着ている物、鉢巻にも似た頭に被る物、耳、鼻にすると言うガラス玉でしょうか、貝殻でしょうか飾り物。これらは少し説明を聞いただけであの場でも凡そ描け直せそうに思いました。
また、獣の皮の船に乗っての狩猟とその様子は半信半疑のところも御座いましたが、聞いていて面白くも御座いました。
この素描に下手な手を加えぬ方が良いかと思います」
右仲の意見に頷いた。志村も昌永も同感の意を表して首を縦にする。
(参考図―早稲田大学図書館所蔵本、環海異聞に載る「オンデㇾーツケ島の島人男女」。
「被り物、装飾品」と「皮船に乗り狩猟する姿」)
[付記]:昨日、マスコミ報道によって仲代達矢氏の訃報を耳にしました。心から合掌申し上げます。
忘れもできません。「人間の条件」が完成した当時中学生だった小生は学校に行く前、朝に各家を回って納豆や豆腐売りの小遣い稼ぎをしていました。家が貧乏でしたけれどもその金を本を買うにも、映画を見るにも全部自分で使いました。
仲代達矢さん、新珠美千代さん等の出演した「人間の条件」3部作、凡そ12時間放映の超大作を田舎(一関藤沢町)の場末の映画館「藤映ロマンス」で観ることが出来ました。雪原に死を迎える主人公のラストシーンを今でも覚えています。
戦争反対の主人公、国境を越えて人種を超えて人にやさしかった人間が、何故もこのような死を迎えるのか。小生の生涯に印象の残る映画でした。
結婚して二年、三年経ったでしょうか、小生が30歳を迎える頃で娘がいました。妻が二人目の子の身重だったころです。ある日に新宿武蔵野ピカデリー(記憶が間違って居たらゴメンナサイ)だったでしょうか、一晩に、一挙に12時間、人間の条件を放映すると知り、見ていないと語る最も親しい友人(彼も結婚していた)を何が何でもと誘い、徹夜で観覧しました。
放映が終わると、その銀幕に向かって多くの観客が拍手を送るのです。この光景を他の映画で見たことがありません。
朝に、雨にぬれていた歩道を自分もまた頬を再度濡らしながら喫茶店に向かいました。良い映画、人間を伝える映画、本当に有難うございました。仲代さん、ゆっくりお休みください。合掌。


