カ 氷山
大火鉢に火を起こして部屋を暖めもしていてくれた末吉だ。
畏まった三人に吾が淹れたお茶を奨めれば、ニコニコして口にした。緊張を解きほぐすにお茶の効果をこれほどに思ったことはない。
志村殿が驚いた顔をしたが委細構わぬ。
「三日ぶりじゃの。今年も宜しくお願いする。
正月とて餅を食べたかの?」
「はい。誰にお礼ば言わなぎゃなんねゃがど思って居ますたが、
御配慮頂き有難う御座ゃます。
このお茶とて、勿体ねゃ(ない)ことで御座ゃます」
年長の津太夫が答えた。そして、語りだした。
「やっぱす、餅っこだべ(でしょう)。
贅沢なことだども(でしょうけど)それがねゃ(無い)ど、正月が来た気がすねゃ(しない)。
三人とも、あんこ餅(の椀)と雑煮(の椀)等を目の前にすて一杯泣ぎますた。
日本に帰って来たんだなどつくづく思いますたよ。
長崎で口にすた餅よりもこごの雑煮は田舎の味だー。仙台味噌だー。
おすんこだって焼き魚だって俺(己)の涙と共に食べもすますた。
酒こも自分の涙で勝手に味付けすて飲みもすますた。
オロシヤに残った皆の顔が浮かんできで、申す分げねゃ申す訳ねゃど思いもすますた。んだども(だけれども)、早く田舎に帰りでゃー、石巻さ早く帰りでゃど思いますた。
涙が止まらながったべ」
津太夫が語るに、儀兵衛と左平は頷いた。目頭を拭った儀兵衛だ。思いもしていなかった(聞き取り)調査の幕開けとなった。皆々の様子を暫し見る事にもなった。
筆記の用意が整いましたと志村殿だ。右仲は黙って漂民三人に頭を下げた。
乙卯と言うから寛政七年(西暦一七九五年)になる。
「船長のガラロフ(エストラス・イワノイッチ・ガラロフ)は俺達をオロシヤ行ぎの船に乗せで呉れるごどになった毛皮商人でがす。
ガラロフ様は俺達十五人に革の衣服を用意すてくれますた。貰ったべ(貰ったのです)
着てみで皆が笑顔になりますた。初めでのオロシヤ衣服の上下姿に、ああだこうだど皆が久すぶりの笑顔ですた。
大きな船に乗るのも実に久すぶり。十一カ月ぶりですた。
(寛政七年の)四月三日(西暦一七九五年五月二十一日)と覚えでいんべ(覚えております)。船は島を出だのっしゃ(のです)。オホーツカ(屋和都蛤、環海異聞にこの記述。以後、オホーツク)に向かったべ(のです)
島を出で十日ばがり、目の前に山にも見える島が一杯続いで出で来ますた。
俺達は島だとばがり思ったのですが、海水が凍って出来だ物だ、そごさ更に雪っごが積もって小山になったと聞いでたまげだー(驚いたー)
それが氷山と言うものですた。ガラロフ達(乗組員)は進む方向を間違えで北に来ですまったど慌でで船の方向を換えでいんべ(います)。
んだども(しかし)、俺達は初めで見る氷山に只々たまげる(驚く)ばがりですた。
氷山と氷山の間に隙間っこが有んべ(有ります)。そこは青みがかって何と言ったら良かんべ(良いのか)、それはそれはとんでもねゃ(ない)ほど綺麗な青ですた。
俺達は、凄い、凄い、綺麗だ、ど口を揃えだべ」
「その氷山と言う山、是非に絵図にしたい。後で素描を描くに協力してくれ」
「へえ・・・、承知すますた」
(参考図―早稲田大学図書館所蔵本、環海異聞に載る「氷山」)
三人にとって初顔の松原だ。初めて聞く右仲(松原右仲)の言葉だ。少しばかり戸惑いを見せた津太夫の返事だ。
「紹介しよう。今日から吾等と一緒に聞き取りもする松原右仲殿だ。
吾の塾、芝蘭堂にて語学も医学も学んで居るが、絵を描くことも得意として居る。
其方等の話から絵に残した方が良い、絵図にした方が聞く吾等の理解がし易い物もあるゆえ同席して貰うことにした。
宜しく頼む」
備中松山藩の儒者であることは伏せた。三人が揃って松原殿を見遣り、軽く頭を垂れた。津太夫が言う。
「後々の事も有んべ(有りますれば)、
俺が死んでも太十(太十郎)が死んでも、お国の誰ぞが後に目にするごども有んべがど折々に絵にすた、絵に描いたものが御座ゃます。
太十(郎)が描き控えた物が殆どで御座ゃます。
何時に何が有るか分がんねゃ(分からない)ど二人で思案すて、いざ御上のお咎めが有ったれば老い先短けゃ俺が責任取るべど預かりもすますた。
この老いぼれならば、あの世が近くも有っぺ(有る)。太十(郎)の申す出を良かんべ(良かろう)ど受け入れだのっしゃ(です)。
下手では御座ゃますが、俺の描いた物も幾つか入っていんべ(混じっています)。
良げれば部屋に戻って今こごに持参も致すますが・・・・」
「何?・・・、絵図があると?」
「はい。書く物ど紙が無げれば描くごども出来ません。
んだども(しかし)、イルクーツクで太十(郎)も俺もそれを手にするごど(手に入れること)が出来ますた。
