オ 太十郎
太十郎の体調は決して良いものではない。物を飲み込み難いとて暮に診たよりも更に痩せ細っていた。いや、彼自身が意識して食べることを拒否しているのではと思うのだ。
部屋に戻れば、約束の昼九つ半(午後一時)に早いが志村殿も出仕していた。
「明けましておめでとうございます。
太十郎殿は如何に御座いましたか?」
(太十郎の)側に行っていると耳にしていたか、心配そうに吾を見る志村殿に言うよりも首を横に振って先に告げた。
「今日の明日にというものではないが・・、何も喰わぬではの・・・」
害があると知れば止めもして居たが、一服しようとの気にもなる。
だが、先ずは紹介だ。
「紹介しよう。今日から吾等と一緒に聞き取り(調査)に入る備中松山藩に籍を置く松原右仲殿じゃ。
(吾の)塾(芝蘭堂)に通う門下生でもあるが、絵を描く。
銅版の絵作りにも長けて居っての、漂流民が語る事を絵にした方が良い、理解が進む、記録しておけば後々に大いに役立つと考えての、
同席して貰うことにした」
昌永(山村昌永、山村才助)同様、藩には内緒だ。語りながら、二人の同席を伏しても平賀様(平賀蔵人義雅、仙台藩、奉行の一人)にお許しを得ずばなるまいと内心思う。
「仙台藩、儒者の席に在る志村弘強に御座います。
宜しくお願い致します」
「こちらこそ宜しくお願い致します。
これまでの経緯、志村殿の事、山村様の事を先生(大槻玄沢)にお聞かせ頂きました。
めったに経験することでも御座いません故、正直、漂民が何を話されるのか、異国の事を聞く、知ることが出来ると大いに楽しみにしても御座います。
(絵図に描き現わすに)御期待に沿えるか如何かいささか心配もございますが、吾の好奇心の方がはるかにそれを上回って御座います。
(聞き取り)調査をしていると知ったれば、吾の方からこそ是非に参加させて下されとお願いするところに御座います。
ワクワクして御座います」
志村殿はニコリとした。そこに、昌永が顔を出した。
右仲と診て来たばかりの太十郎が様子を改めて昌永に語った。だが話しているうちに、津太夫や左平、儀兵衛からこれまでに聞きもしたことも、詳しく太十郎が事も右仲に語る気になった。今後のためにも吾ら四人に共通の理解が必要であろう。
「太十郎は生来真面目な気質らしい。同じ浜の出の儀兵衛が太十郎を寡黙だったと言うが、それが仲間内には陰気な性格と映って いたようだ。
津太夫が言うには、やっとに日本に帰って来たのに目の前に日本の陸があるのに、上陸がままならぬと知って太十郎は誰よりもふさぎ込んでしまったのだそうだ。
その太十郎が、ある日、船の調理場から小刀を盗み出し、それで己の舌を傷付け、喉の内まで突き立てた。吐き出す血という血に船内は大騒ぎになったらしい。
ランゾフ(ドクトル・ラングスドルフ)など船に乗っていたオロシヤの医者は止血しようと直ぐに良くに診て呉れたと津太夫殿が話だ」
「長崎藩は?、我が国の医者は?」
「と、思うだろ。日本の医者はなかなかに来なかったそうだ。
来たのは長崎の御奉行様に報告が上がってからの事とて、呆れるほどに時間が経っていたらしい。
これが恋焦がれてやっとに戻って来もした御国の仕打ちかと思ったは太十郎ばかりではない。つくづく情けなく思ったと津太夫も儀兵衛も、左平も吾等に語った。
本道(内科)二人、外科一人の三人が駆け付けたと聞くが、三人は誰なのかまだ聞いては居らぬ。
(太十郎の自殺未遂は「環海異聞巻の十四」に詳しく書かれている。駆けつけた日本の医者三人は本道(内科)二人、外科一人とある。外科一人は吉雄幸斎と記されている)
それからというもの、三人は夜中も交代で看病したそうだ。
三十日が経った頃に日本の医者がうがい薬を作ったそうだ。それが良かったか、太十郎は食べ物を口にするまでに回復した。ほっとしたそうだ。
だが、いつの日からか食べ物を一切口にしなくなった。無言のまま床に就いているだけになってしまったと言う。今に見る、廃人になってしまった状況だ。
太十郎は仲間の吉郎治が死んだとき、あの異国(オロシヤ)に在っても、イルクーツクと言う所ででさえ石塔を用意した。
その石に梵字を刻み、日本国奥州仙台牡鹿郡小竹浜と所在地も阿部屋の屋号も、吉郎治の名も、その下に蓮の花を彫ったのも太十郎だと聞いた。
日本人なればその彫を忘れることが出来ませんと津太夫、左平、儀兵衛の三人からそれぞれに聞いたのだ。太十郎は心根が優しく、傷つきやすい性格だったのだろう。
真面目の何処が悪い」