エ 出雲
大坂が事は玄幹に先に聞きもしておれば、吾の行ったことの無い山陰道の事どもを聞きもした。
宍道湖から見る夕日は絶景だったと語る。また、出雲に行っては梅廼舎にお世話になった、千家清主殿(千家俊信)にお世話になったと語る。
(梅之舎は第七十六代出雲国造千家俊秀の弟、千家俊信(国学者、歌人)が開いた塾。
参考図―早稲田大学図書館所蔵、大槻平泉(大槻民治)の雑記帳。「千家清主」と記録有るは千家俊信のことである。
俊信は伊勢(国)の本居宣長の鈴屋に学んだ宣長の高弟の一人。寛政十二年(一八〇〇年)の「梅之舎授業門人姓名録」には二百二十四名の名が記録されている)
「六坊、五三さんは、因幡の白兎の話を聞いたことが有るかの?」
問いかける民治に、六はきょとんとした。五三は首を横に振る。見れば、妻(タホ)もお京も小春もその先の話を期待する風情だ。
「出雲国はこの日本を造ったと伝わる女の神様イザナミ(伊邪那美)と男の神様イザナギ(伊邪那岐)に最も由縁の有る土地ぞ。
また、生きていくうえで吾らが営む生活を支えもする八百万の神様があちこちから年に一度集まりもする所ぞ。
日本最初の歴史書を古事記と言っての、出雲は神代の世界を今に伝えておる。天と地がまだ混沌としている時に、天上に住むと言う大神から日本を造れと命を受けたのがイザナミとイザナギじゃ。
夫婦になった二人が混沌としている天と地をかき混ぜて造りしは、最初に淡路島(淡道之穂之狭別島)、次に四国(伊予之二名島)、隠岐島(隠岐之三子島)、九州(筑紫島),壱岐島(伊伎島)、対馬(津島)、佐渡ケ島(佐渡島)、最後に本州大和(大倭豊秋津島)だ。
島々が出来れば、次にはその島々、国を治めていく中心人物、中心となる神様が必要となった。そこで、多くの神様の中から幾多の困難に会いながらも一つ一つ解決していく大国主が選ばれた。
大国主の神は温泉の発見(道後温泉)からその活用方法、病気の治療方法、薬草の利用方法から農耕の普及、日々の生活の有り様まで国を治めて行かんがため、人々(神々)のためにと、人(神)が生きんがための基礎作りに取り組んだ。
そして出来上がった国を高天原の天照大神に、後を頼むと譲る」
そこまで聞いて妻もお京も小春も末吉も、それどころか玄幹さえも驚いた顔をしている。
「古事記に記されている「国譲りの話」じゃな」
古事記、古事記伝と言えば本居宣長と思いながらに言った。
「はい。伯父上の言うが通りに御座います」
「国譲りの時に、出雲には大国主を祀る大きな社が造られた。
それが出雲大社の始まりじゃ」
少しばかり知る所を披露したものの、民治の方が古事記に書かれている事の次第をより深く知ってもいよう。
「それで、因幡の白ウサギはどうなりましたか」
お京がその続きを催促した。
