ウ 加賀
先に玄幹から聞きもしていることだが黙って聞くことにした。末吉がお酒は御座いますかと民治に聞く。茶碗酒にしたらと言うが民治は首を横に振った。
「有難う。この次に来た時はコップ酒にするよ」
聞きもした小春も、何故か、うん、と首を縦に頷く。鍋から汁もたっぷりに白菜、人参を取り分けて民治の前に差し出した。
民治の話が続いた。
「玄幹が麻疹に罹りもしたれば、加賀の金沢には凡そ二か月も滞在しました」
玄幹が首を縦に振る。
「さすが伯父上ですね。大槻玄沢の名は出羽、越後に、加賀、北陸道にも届いています。
金沢では大槻玄沢の嫡子、玄幹の病と聞いて医者と言う医者に儒学を治めるだけの者も心配して訪ね来ました。
その数。十五、六人にもなります。
能州子浦(能登、羽咋)の西村宗碩殿、中居(能州中居、奥能登)の真田三右衛門殿と言いましたか、それらの方々までもが態々駆けつけて呉れたのです」
頷く玄幹だ。
(大槻平泉(大槻民治)の雑記帳に、金沢で会ったであろう人物十六名と、能州子浦、中居から駆けつけた人物四名の名が残されている。
参考図―早稲田大学図書館所蔵、大槻平泉の雑記帳)
いやはや驚きました。麻疹とあれば隔離することと教えを頂きそのようにしましたが、熱さましのほかに確とした治療の方法が無いと聞きもして神仏に頼り、祈りもしました。
後は玄幹の生命力に頼るしか方法が御座いませんでした。
皆様にお世話頂きながら、万が一の事態に成ったら伯父上に合わせる顔が無いと何度思いもしたことか。
こうして今に皆で鍋を囲めるのも酒を飲むことが出来るのも、大袈裟かもしれませんが夢のようにも思われます」
「何を言う、(玄幹が)世話になったの。お礼を言う」
「いえ、そのようなつもりでお話したのではございません。
意に添わず若くして亡くなる方も多く御座いますればこうして無事に江戸に在ると、改めて玄幹の生命力にこそ感心しております。
ほっとしております」
「旅にあれば何時に何が起きるか分らん。
(吾の)友人知人を記した書き付けを預けもしたが、少しは役立ちもしたようじゃの。
良かった。玄幹、傍に民治が居て良かったの」
「はい。身内が傍に居ると居ないとでは気の持ち様も大いに違います。
養生の時も含め凡そ二か月金沢に滞在しましたが、その間、兄上が傍に居るだけで元気づけられました。
病に負けぬぞと、何度思いもしたことか」
今度は、お京までが手布を手にした。
「おい、おい。この席は民治の祝いの席ぞ。
涙は要らぬ」
吾の声に、泣き笑いの顔を作るお京だ。タホ(妻)も頷きながら笑みを見せた。五三も六も事の次第が分からずも笑顔になる。
末吉が吾にも妻にも玄幹にも民治にも酒を注いで回る。席にも戻った末吉を呼んで茶碗に吾が並々と(酒を)注いだ。
