エ 志筑忠雄
「父上、長崎の事もお聞きしたいでしょ?」
「勿論じゃ、其方にはそれを聞きたくての。
鯨の話を先に聞くとは思わなんだ」
「ハハハハハ。父上、人間、感動、感激する事は誰でも同じでしょう。
此度の長崎旅は鯨が一番、二番は空飛ぶ人間です」
「空飛ぶ人間?」
「はい。志筑先生(志筑忠雄)の天文、地理等のお話は、蘭語、英語の翻訳の習い事、医学医術の勉強よりもはるかに面白う御座いました。
それで、己が次に何か出来るか、師匠の教えを頂いて何か出来るかと言えばそれはまた別の事でも御座いますけどね」
「言い訳は良い。(長崎)遊学の成果を知ろうとて聞いたが、華岡殿に鯨が先に来おった。
今度に空飛ぶ人間だと?」
聞きながら、森島殿(森島中良)の紅毛雑話にも収録されてある「リュクトスロープ」の事かと、直ぐに思い出した。
(紅毛)雑話の発刊(天明七年、一七八七年)は天明も終わりの頃では無かったか。長崎を知る源内先生(平賀源内)のエレキテル(摩擦起電気)にも燃えない布(火浣布)にも驚きもしたが、先生の人間が空を飛ぶ飛行の器(飛行船)というものの話になって、人間が空を飛ぶなどそんなことが出来るわけがないと、聞いていた中川(順庵)さんも有坂(基馨)さんも吾も由甫(杉田伯元)も一笑して終わりになった。
それが、森島殿の紅毛雑話に「リュクトスロープ」なる飛行船の絵図が載って、成るほど船の形に有ろうが桶、駕籠の形に有れ、人が入った、乗った、それを宙に浮かばせる方法が有れば満更人間が空を飛ぶのも夢ではないと当時にも思いもした。
(参考図―竹窓櫟斎著「平賀鳩渓實記」(鳩渓は源内の号)に掲載されている平賀源内の飛行船の図と、森島中良の紅毛雑話に載るリュクトスロープの図。
なお、大槻玄沢は森島中良の実兄、桂川甫周(徳川幕府の御典医(法眼)と共に紅毛雑話の序文を書いている)
「はい。志筑先生の天文、科学、飛行船の話になると、聞いている兄上も吾も蘭語が如何の、その文法が如何のと言うよりも、翻
訳、語学の教えよりも面白う御座いました。
毎回毎回ワクワクしてお聞きしたところです。
科学と言っておりました。天文、宇宙を語るに、また窮理(物理)を説明するに引力、重力、遠心力、速力、真空などなど耳慣れない翻訳言葉と説明に唖然としましたよ。
長崎には凡そ一年、予定の時期より大分にズレはしましたがほぼ一年滞在することが出来ました。その結果に、人にも語らねばと思う物はやはり飛行船でしょう。
先生は奇病に罹って通詞の仕事を辞し、家に籠って天文、地理、窮理、翻訳の勉強、研究をしているとの事でしたが、御存知ですか?。藩(長崎藩)の禄を食むわけでも無く、もっぱら研究をして居ると知って驚きました。」
「勿論じゃ。志筑殿は吾が遊学した二十年前は長崎の和蘭通詞じゃ。稽古通詞とか言う身に有った。
吾が本木良永先生が所に寄宿し、その先生の所に良く出入りしていたのが志筑殿じゃ。(吾の)短い(長崎)滞在期間に有ったが、考えもしていなかった天上のこと、宇宙とか言う空の果てのこと、星の事を当たり前に話す先生にも志筑殿にも驚いたところよ。
その頃にも、確かに時折、身体の具合が悪いと志筑殿は言っておった。職を辞して家に入った。家でも天文、地理、窮理の事を一層勉強していると、(カピタンの)江戸参府に随行して来た通詞達に聞きもしていた。
其方に志筑殿(志筑忠次郎、忠雄)宛ての(紹介)状を持たせたは、この日本でも今の世に天文、地理、測量、窮理がより大事になっているからじゃ。
家業(医者)の修行のために其方を(長崎に)行かせると申し出て(仙台)藩のお許しを得もしたが、医業のみならず、欧羅巴における天文や地理、科学等の進展を今に語れるは志筑殿を置いて他に無いと思ってのこと。
間違いなかったろう」
「はい。その通りに御座います。
和蘭語を学ぶ傍ら、先生の所に出入りして科学等を学ぶ方に末次忠助殿や吉雄権之助(吉雄耕牛の三男)殿、馬場佐十郎(馬場貞由)殿等がおりました。
商人であり興善町で乙名をしていると聞く末次殿は四十歳ぐらいになりますけれども、吉雄殿も馬場殿も吾と同じ年齢に近く、何かと聞き易くもあり教えて頂くのに好都合でした。
御父上は乙名を御存知で?」

