突組も網組も多くはその納屋が寝泊りする場所でもあると教えて頂きましたが、鯨の解体には女子手も入るのだそうです。
捕鯨の最盛期には解体の手伝いに入る女子が千人と聞いて唖然としました。
番屋も(鯨)鯨を解体する納屋も、管理するのは益富又左衛門殿です。まさに益富組の頭領です。赤茶けた肌の色で精悍な顔をしていました。
五十は(歳)は過ぎて居たでしょうけどいかにも海の男です。笑うと歯並びが余計に白く目立ちました。
益富殿は、捕鯨に出る船は三百艘、漁師は交代で二千、解体を手伝う女子は千人と胸を張り、豪語しておりました。砂浜近くや川筋の傍に建つ、先が見えないほどに並ぶ番屋や納屋を見ればお言葉は真の事と思います。
昨日に兄上が、後ろから抱きしめられて命拾いしたと言っておりましたが、正に揺れる舟の上で捕鯨の実際を見ていれば誰でも興奮しますよ。何しろ、鯨一頭を仕留めるのに凡そ十艘もの小舟が鯨を取り囲んで銛を打つのです。一本や二本の銛が鯨の胴体に突き刺さっても鯨はびくともしません。
やはり頭というのか額と言うのか、胴体も心の臓かその辺りか、急所に銛が刺さらないと鯨の動きが止まらないのです。
鯨は海も人をも知っています。小舟に体当たりして来るのです。潮吹く鯨の起こす大波小波に突組の乗る小舟がひっくり返されるのを度々目の当たりにしました。
やがて、海面一帯は真っ赤な血で染まります。鯨の動きが止まり、あっちでもこっちでも漁師達の上げる凱歌の雄叫びを忘れることが出来ません。海の上に響き渡るのです。
仕留められた黒い大きな鯨は尾ひれに巻かれた太い綱で浜までえい航されるのですが、海上には鯨の身体から流れる赤い血の帯が出来るのです。
興奮と、哀れさとが入り混じった心境になりましたよ」
最後は見た捕鯨に掛かる玄幹の心情を聴くことになった。だが、吾は、「子を守ろう、生きようとする鯨の本能と人間の欲との戦だ」とかつて言った小石元俊殿のお言葉を思い出した。
「如何かしましたか?」
「いや、聞いていてもいろいろと想像出来たでの・・・・。」
「兄上が言っていましたよ。御父上から(捕鯨に関して)詳しく聞いて参れと言われたと。
それも有って熱心に聞きもし記録していたのでしょうけど、最後に、良かった、本当に来て良かった、聞きもして、教えて貰ってよかった、伯父さん(玄沢)に良い報告が出来ると言っておりました」
そうなのだ、民治の代わりに吾が一番に捕鯨の現場を見たかったのだ。山縣殿に聞きもしていたことをこの目で確かめたい、本にしたいと何時も思って居た事なのだ。
だが、民治のこれから先を考えるに、世に出るようにしてやるに民治の作(作品)に仕立て上げるのが適当か、鯨は格好の材料、体験なのかもしれぬ。
(吾は)少しばかりは鯨に掛ることを書きもしている(寛政十二年五月、「得鯨魚耳底骨記」)が、捕鯨に掛ることを詳しく書いた本は未だに無いのだ。
先輩(司馬江漢)の捕鯨絵図に負けもしない鯨本を民治に書かせるか・・・。
(参考図―国立国会図書館デジタルコレクションー大槻平泉(大槻清準)の「鯨史稿」に載る「鯨魚全身図」及び「背美鯨」)
付記;インターネットで「鯨史稿」を検索すると、国立国会図書館デジタルコレクションで大槻平泉(大槻清準)の「鯨史稿」を見ることが出来ます。まるで鯨図巻を見るようで鯨の種類、大きさ等の記述のほか、捕鯨にかかる道具、その他を知ることが出来ます。しかも全編六巻を漢字とカタカナで記述しており、讀みやすい、知りやすいようになっています。江戸時代、多くの人の関心を呼んだことでしょう。

