七 石巻の難破船、若宮丸

 帰りの道すがら、先生のお言葉が頭に蘇る。子を思う親の気持ちを聞くほどに玄幹の今後の事も真剣に考えねばと思う。

いずれ藩(仙台藩)に推薦をと、今まではうろ覚えにしか意識していなかった。二十歳(はたち)になるのだと(倅)玄幹の年齢(とし)を改めて思いもした。

 また、最後にお聞きした長崎が事は如何(いか)に進展するのか、それもまた大いに気になる。

 先生を取り巻く方々に今の幕府の事(方針、動向等)を知り得る人物が多く()りもすれば、(昌平坂)学問所の教授方や患家でもある御大名や御旗本から入る情報でもあろう。先生のお耳はやはり地獄耳だ。

 

 上屋敷に足を延ばした。何ぞ藩にも情報が入っているか。先生にお聞きした長崎が事を確かめねばなるまい。

 医者溜まりに顔を出すに、静かでもある。何事(問題)も無きかとほっとするは何時もの事だが、背中を見せて居た桑原殿(桑原純明、二代目・桑原隆朝)に声を掛けた。

「お変わり御座いませ何だか?」

「おお、大槻殿。御覧の通り、静かにあれば何事も平穏じゃて。

 大槻殿がお気にかけて御座る観心院様も、特に変わりは御座らぬ。

 ただ、大きな声では言えぬが、長崎が事で小耳にしたことが御座る。

 長崎にオロシヤの船が来たそうに御座る。

 それが姿形からして商船にあらずと聞きもした。

 何年前になるのかの。その辺のことになると大槻殿の方が詳しいかと存ずる。

 オロシヤ船の船長等は、かつて御上がオロシヤに与えたと聞きもしていた長崎港入港の許可状(信牌)を持参して来たらしい。

通商を要求しているとの事に御座る。

 しかも、一層驚いたことに、(仙台藩)領内の石巻が所の(すい)()四人を漂流(ひょうりゅう)(みん)だとして連れて来たというのじゃ」

 先生がところでの少しのお話は(まこと)の事らしい。地獄耳を持つ者がここにも居たか。

「して、御上(幕府)は何と?、その()()(なん)とすると・・・?」

「いや、そこから先はまだの事らしい。

 江戸番頭殿(江戸における当番奉行)始めお歴々は、御上(幕府)からの伝達と漂流民の確認とて大忙しに御座ろう」

 

 最早隠せるものでは無くなったか。二日前に桑原殿に聞いたばかりに、上屋敷の中での噂さ話しは大概長崎が事になっている。

オロシヤの船の姿形は兎も角に、漂民が(仙台)領内の民でもあれば話題にもなる。

 九月六日(文化元年九月六日、西暦一八〇四年十月九日)、オロシヤ船(軍艦、ナデジュダ号)が長崎に来航した。

艦長はレザノフと言う者(この時点では艦長がクルーゼンシュテルンで、レザノフは新日使節であると知る由もない)で、(仙台藩)領内石巻が所の()()四人を漂民だとして連れて来た。

 レザノフは、かつてラクスマンに与えた御上の(しん)(ぱい)(長崎港入港許可状)の写しを持参していた。通商を要求している。

 漂民は、寛政五年(一七九三年)の暮に行方不明になった石巻の米問屋の持ち船、若宮丸に乗りし者。

 またもそこまで耳にして、寛政六年の大広間での御年賀の後の医者溜まりを思い出した。記憶では若宮丸に乗りし者は十六名、藩の廻米凡そ一四〇〇俵(記録は一三三二俵)、木材(記録は雑小間木四〇〇本)を積んで江戸に向かっていた。荒れ狂う冬の波に遭難した。 

 今に(日本に)帰って来たとあれば、遭難してから凡そ十一、二年経っていることになる。また、帰って()れたは四人と聞けば光太夫(大黒屋光太夫)と磯吉、小市、神昌丸の事を思い出しもした。

 昌平坂(学問所)の学頭(林述(はやしじゅっ)(さい)殿)が、老中、土井(どい)(とし)(あつ)殿(下総(しもうさ)古河(こが)藩主、(現在の茨城県古河市(こがし))に問われて、「通商は祖宗(そそう)の法(祖先からの方針)に反するため拒絶すべきである。しかしながら、ラスクマンに信牌を与えた経緯がある以上、礼節をもってレザノフを説得するしかない」と意見を申し上げた、とは先生であるがゆえに耳にすることが出来た事であろう。

 また、あの時、今年の長崎警備は佐賀藩が当番で佐賀藩は慌てふためいて居る。何時(いつ)に長崎奉行所お勤めとなったのか、南畝(なんぽ)殿(太田南畝)が奉行所の検使役の一人として出島近くの海上に停め置かれたオロシヤの軍艦にまで行った、との先生のお話に驚きもした。

 幕府は通商を許可しない方向にあるとお聞きもしたが。吾はそれで良いのかと思いもする。対等な通商を結ぶことにこそ御上(幕府)は力を注ぐべきではないのか。

 生活の有り様は今や西洋やオロシヤに学ぶべきではないか。医学も天文も、地理や測量等も日本よりもはるかに進展しているではないか。

 御上が一番に心配なのは武力が事であろう。それとても、口には出来ぬが吾が国の方が劣っているのは明らかではないか、諸国の本がそれを教えていると思いもする・・・。

 

付記:次回から、第二十四章 文化二年になります。

   映画、「国宝」

 久しぶりに感動を覚えた良い映画を見てきました。周囲で、二度見た、いや、三度見たと言う友人知人がいて、見なければなるまいと老妻と二人、映画館です。毎週水曜日がシニア割引で、一人1300円の観覧料は安い。

 家に戻って、モデルになった歌舞伎役者が誰か、映画を堪能して女形の歌舞伎役者と言えば誰か、それを探って驚きました。

モデルとは関係が御座いませんけれども、それで知った事も有ります。小生のこの大槻玄沢抄の中でも、女形、二代目瀬川菊之丞にかかる話を一コマ書かせていただいております(前編)けど、やっぱり、間違いなく江戸の大槻玄沢の青年時代、女形、二代目瀬川菊之丞は有名だったんだと、思わないところで改めて検証した感じです。

 また、女形歌舞伎役者の踊り十八番は何ぞやと探って、映画にも出てくる藤娘、二人道成寺、鷺娘の順番、配置には改めて感心しました。

 小生のこの小説の大阪取材旅行の付記欄に、大阪の「お初天神」の写真を投稿させていただきましたけれども、映画にも出てくる「曽根崎心中」のモデルを祀る神社でもあります。今日でも、恋の成就を願う若い人たちが訪れる神社、浄瑠璃、近松門左衛門ゆかりの神社であり、改めて訪問していて良かったなと思った次第です。

 まさか、映画「国宝」をみて、こんなにも自分の書いている小説を思うなど、思っても居ないことでした。映画「国宝」の鑑賞を是非に推薦します。上映時間が、三時間にもなりますので先に用便を済ませて下さい。

 

 蛇足、俳優、吉沢 亮さん、横浜流星さんの後ろ姿を銀幕に見ていて、小生が独身、二十代の前半の頃に俳優座の舞台を見に行って、あの、大岡越前守忠相を演じて有名だった俳優、加藤 剛さの後ろ姿を思い出しました。

加藤 剛さんを間近に見て、胴長短足だったなと思ったのでした。

 

 

 

[付記