三 間重富の再訪
「先生、間様がお見えです。
このお部屋に御案内しますか。それともお座敷の方へ・・・」
「勿論、座敷じゃ」
仕事場でもあるこの部屋では狭すぎる。文机の上も周りも書き損じた紙に、調べもしていた書籍等が雑多に散らかったままだ。
お京が珍しくも聞いたは、吾と間殿との間を知っての事だ。
「お久しぶりに御座います」
「うん。本に久しぶりじゃの。三、四年にもなるか?。
お元気で御座いましたか。
何時に江戸に来られた?」
「はい、十月も始めに御座います。
もっと早くにご挨拶に来るべきかと思いもしましたが、
今日になってしまいました」
「いや、態々に来てくれたことに感謝申し上げる。
お顔を拝見すれば安心もする。お元気そうでなによりじゃ。
大坂は如何で御座った」
「はい。主人が居なくも商売の方は皆々が気―ば張ってもいましたれば、
よう御座いました。
順調でした。」
「それは何よりじゃ」
「否、否。そうとばかりは言えません。好事魔多しとも言います。
寛政暦が出来たとて御上から褒賞金も、『間』の苗字も頂きました」
「うん、そのように耳にしておる。(「羽間」を「間」の一字で言う)」
顎を一旦引いた間殿だ。
「戻ってみもした稼業が繁盛していたとあれば、言うこと無しの喜びでした。
されど、去年(享和三年)の三月でした。春一番とかの折からの大風に煽られて少しばかりの火から大坂は火の海で御座いま す。
お陰で吾が所も類焼して、屋根に据え付けてあった天文観測の機材から倉庫に備えもしていた測量用の器具等々までも失ってしまいました。
おまけに暮から此の春まで吾が体調を崩しましての・・・いやはや。
正月早々に至時殿(高橋至時)が亡くなったとの報に驚きもしましたけど、
『急ぎ江戸に来い、三月から天文方に出仕しろ』との御上の仰せには一層のこと吃驚仰天しました。
至時殿が急逝して、その後を継ぐ倅、景保殿(高橋景保。高橋至時の長子、当時二十歳)を支えよとの事に御座いました。
御上のお役に立つにも身体が丈夫でなければなりません。養生せねばとこの秋まで(出仕を)待って貰いました。
先月末(九月)に大坂を発って江戸に来た所に御座います。
此度は嘘も方便でも御座いません」
「ハハハハハ、うん、覚えておる。覚えておる。信じよう。
されど、そのような災難が有ったとは・・・。
大坂の大火は小耳にしても居たが、其方の災難のことは・・・。
知らなかったこととはいえ何の助けもしておらねば・・」
「いえ、いえ、そのお気持ちだけで十分で御座いますー。
それよりも、至時殿を亡くしたはいかにも残念。
この上ない悲劇で御座いますー。
大坂からは、身体に気を付けよ、其方が居ればこそ天文も測量が事も大いに進展する、身体を大事にせよと励ましていました。
元気になった、回復したとの状(手紙)を一度頂き安心してもいましたが・・・。
日食が寛政歴と十五分ずれた(享和二年)と残念がる状も、
また、去年の夏(享和三年七月)に堀田様(堀田正敦)から今に貴重な天文の書、『ラランデ歴書』を頂いた、翻訳に頑張るぞと喜び勇んだ状も届きました。
苦慮しておるがその翻訳が嬉しくもある、新しい天文知識が得られると喜んでおりました。
それ故、残念至極で御座いますー」
以前、間殿の天文方出仕は幕府の意向よりも遅れた。当時の時の本音(虚言)を自ら洒落にして此度を語る。時折混じる大阪弁とて、久しぶりに聞くも心地良い。
(ラランデ歴書は、仏蘭国のジェローム・ラランド(ジョゼフ・ジェローム・ルフランセ・デ・ラランデ)が書いた天文書である。当時、個人所有の同書を幕府が買い上げ、高橋至時を始めとする天文方に引き渡された)
聞きながらに至時殿も堀田様のお顔をも思い浮かべた。至時殿が亡くなったと耳にした後の春先、蘭語の翻訳に其方の力を借りもしたいと言った堀田様を思い出した。その後の音沙汰無しは間殿の出仕の事とも関係していたのかもと想像した。
「堀田様からは早速に、景保殿を支えよ、至時殿のお役を継げとお役目を言い渡されたところに御座います。
また、景保殿が仕事の有り様について疑問ある時は、遠慮せず意見を述べよ。吾にも直接具申せよとのお言葉も頂きました。
景保殿は他に用事が御座いますれば今日に一緒に来れませんでしたが、御香典をお預かりして御座います。
昨年の夏に急に奥方様を亡くされたとお聞きして驚いたところに御座います。
是非に(御仏様の)御焼香させて下され」
思いもしていなかった申し出である。いささか慌てもしたが床の間の横になる仏壇に誘った。
「お心遣い、忝い。高橋殿に宜しくお伝え下され」
お京に言いつかりもしたのだろう、小春が吾等のお茶を新しくした。
その小春の後ろに、五三も六も姿を見せた。間殿に紹介した。
「御子がこれほど(の年齢)にあると知れば何ぞ手土産を持参すれば良かったに。
考えが及びませんでしたな
「間殿が大坂に帰った頃に上はまだ赤子、下は生まれもしていなかった。
お気持ちをこそ、頂きましょう」
「気が利かなんだ爺じゃったの。
次の機会に土産を持参しよう」
無頓着に傍に寄りもした六だ。その頭に手を遣り、人の良さを感じさせる間殿だ。
心で感謝を申し上げた。
「まだ話が終わっていないでの、小春と(一緒に)下るが良い」
控えていた小春に促しもした。
「大坂に在ろうが江戸に在ろうが健康が一番。
御上のお役目を頂いたればなお一層のこと御身体を大切に為され。
天文(観測)は毎日欠かさずとて、大変なご苦労に御座ろう。
流行り病にならぬよう、この江戸にてもお気をつけ下され」
「お心遣い有難う御座います。
はい。天文ならず至時殿の功績で御座いましょう。今や天文方はこの日本の地図作りも重要な仕事になっております。
また、西洋に学ばんとて、天文方にある皆々には和蘭語、仏蘭西語、英吉利語など翻訳の力も一層のこと求められるようになりもして御座います」
少しばかり驚きながらに聞きもした。
「伊能殿の測量隊は、今は何処に・・・」