二十六 妻、純の死
玄幹の便りにほっとしたのも束の間、それが何と、目の前に居る、一緒に生活する純が麻疹に罹るとは・・・。
「誰も近づいてはならぬ。
床(寝床)は吾と純の何時もの部屋と決めよう。
駄々をこねようが、六(次男、六次郎、後の大槻磐渓)を近づけてはならぬ。
五三にもしっかりと説明せよ」
「奥方様のお食事は如何に・・・」
「粥にせよ。吾が食べさせる。これからは吾が介抱に当たる。
其方とて近づいてはならぬ。小春にもそのように言いつけよ。
何かあったら吾がする。下の世話とて吾で良い」
「そのような・・・」
「良いと言ったら良いのだ」
言いながらに、語気が強かったかと思いもする。
「それよりも、
熱が有る、体がだるいと思う者は遠慮も何もない、その旨申し出よと皆に語れ。
麻疹は死にも至ることのある病ぞ。
黙っていてはこの家にある皆々が大変なことになるやもしれぬのだ。。
滋養を付けんがために、藤七殿が店に急いでお種人参(高麗人参)をしこたま買って来い。(金に)糸目はつけぬ。
生薬、地竜もだ。末吉に頼むが良い。
小春に、確と六を(純の)寝床に近づけるなと伝えよ。
言うこと聞かずば、台所の柱にでも(六を)縛っておけ」
医者が神仏を頼ってはならぬというきまり(定め)は無かろう。神棚にも、母上や先の妻等の眠る仏壇にも願を掛けた。
去年に始まった流行りの麻疹だと分かって居ながら、それに効く適切な処方を見いだせないは情けない。歯がゆい。
事情を知って、五三も六も一時預かると言って呉れた伯元殿には感謝、感謝だ。
正月早々、倅が野菜売りの店を開いたとて吾家の勝手を知り尽くしていたお通さんが身を引いたのが痛かった。お京に小春だけでは言うことを聞かない六の面倒を見切れなかった。また、来客に接するにも来る患者に丁寧に説明するにも二人の手では足りなかった。
予想だにしていなかった。何もしてやれなかった。麻疹に打ち勝つことが出来なかった。何を如何すれば純を助けられたのか。今も、そればかりが涙よりも先に来る。
吾ですら純の急逝を受け入れられないでいるのだ。
五三と六に何と伝えれば良い。
戻って来たら話もして聞かせようと思うが、何度説明しても、母はもうこの世に居ないのだということを理解できまい。
享和三年六月、(西暦一八〇三年七月)純、麻疹により没す。享年四十三歳(官途要録)
二十七 純の最後の和歌
「指示通り部屋を開け放って置いたかの。
初盆も近ければ、今日に部屋の片づけをする」
「はい・・・。」
お京が吾の顔をまじまじと見る。
五三と六の手を引く後ろの小春は声にせず頷いた。
仏壇に向かった。指示をせずとも五三も六も吾の横に座った。
お京も小春も、末吉がそれと知ったか、その後に続いた。
手を合わせると、お線香の匂いと煙が頭の中に純を蘇らせた。
新しい位牌に向かって、心配するな、五三も六も元気にしておるぞ、吾とて元気だ。
ゆっくり休むが良いと心で呼びかけた。
「後の片付けは吾がするでの。五三と六を頼む。
六、小春の言うを良くに聞くのだぞ」
「はい」
二か月もしてやっとに母の死を受け入れたか。返事は良い。
純の伏せていた床を如何にせんと思いもしたが、焼くことにした。吾と末吉で布団と他の寝具の類を中庭に運び出した。お京が、硯と短冊等は部屋の隅に寄せて置くと言う。
立つ煙に、お寺での別れよりも殊更に純との永遠の別れを思う。感傷的になりすぎかと、空に伸びる煙を目で追った。
水桶を手にして来たお京を見て後を頼むと言った。末吉もいるとて心配はなかろう。
部屋に戻ると。まだそこに純が居る気がしてならない。
一瞬、手にしても良いものかと思いもしたが、短冊も冊子も手にした。冊子は和歌集七とある。その七の意味するところを知らねども、純との日々は七年になるなと数えた。
隔離して二人だけの部屋。何時の日だったか吾の右手を黙って握った純が思い出される。微笑みを作り、頷いた。言葉は要らなかった。感謝の気持ちがありありだった。
吾が部屋を出た後に作りもしていた和歌だったのだろう。それが自身の慰めでも有ったろうか。白紙の面が二つも続いてある。終わりかと閉じようとして、もう一首有ると気づいた。
吾に和歌の良し悪しを言う程の能力は無い、これが最後かと思いながらに開いた。御題が先に有る。当たり前か。「夜帰雁」と読めばいいのか。
ゆめぢ〈夢路〉かと たどる(辿る)ばかりの おぼろ(朧)夜に
おもかげ(面影)とめず かえる(帰る)かリがね(雁)
人生のはかなさと自分の死を予想して詠んだのか。
雁の鳴く一声にこの世との別れを惜しむ己の声なき声を重ねたか。
涙を覚えて、しばし動けぬ。