二十三 民治への頼み事
「これを持参するが良い。長崎までは長旅だ。
行く先々、困りもした時にはその人名帳にある方々の所を訪ねよ、相談するが良い」
二年前と同じように驚きの顔を見せた民治だったが、今回は恭しく受け取りその人名帳を頭上まで掲げて礼をした。
前の旅でも人名帳が余ほどの効果を示したのだろう。今回は(吾と)便りや面識のある医者、学者、御侍様等五十五名もの名を書き記した。
「玄幹に持たせた物と同じものだ。
念には念を入れて、万が一の時に二人に持たせた何れかが役立てばと思いもした。
それとの、この際に頼みごとが三つある。宜しく頼む。
一つは、鯨の事じゃ」
「鯨?、あの図体の大きな魚。四、五十尺(凡そ十二、十五メートル)も有ると言う、黒くもあって背中から潮を吹くとか聞く鯨の事ですか?」
「見たことがあるか?」
「いや、御座いません。
田舎に居った頃、塩釜の先とか金華山沖とかで鯨漁が有ると、父や兄が話しているのを聞いたことはありますが・・・」
「吾も(鯨の)実物を見たことが無い。
前々から鯨に関心があっての、書や絵図を漁りもしたが未だにその漁や図体の実物を目にしておらぬ。
其方も知る司馬殿のあの捕鯨の絵図、感心して見とれてはおるが実物の鯨を見たことなしじゃ。
大物は十間(凡そ十八メートル)にもなるとも聞く。
吾は医者ぞ。翻訳家でもあれば、蘭書、西洋の書の教えるところに照らし合わせてよりその効能、効用等を確かなものにしたいのじゃ。
その人名帳に記しもしたが、長崎も平戸と言う所に平戸藩士であり医者(医官)でもある、山縣二之助殿が居る。
山縣家は代々鯨漁をして財を成し、平戸藩への多額な献金と地元の新田開発等に功績を残した家柄と聞いておる。
蝦夷地開発を目論む幕府が、平戸藩を通して山縣殿(山縣二之助、後の四代目、益富又左衛門正真)を江戸まで呼び出した。蝦夷で捕鯨が出来るか、蝦夷は外に何が金を生み出すかと蝦夷地を調査させるに適当な人物と判断したらしい。
吾は堀田様の仰せもあり、その山縣殿の蝦夷地の行きにも帰りにも診察した。(彼とは)それ以来の繋がりじゃ。
ある日に、吾の遊学していた時の長崎話から鯨話になっての。山縣殿の話に聞き入った。捕鯨について実に詳しい知識を持って居る。
平戸近くに生月島と言う島があっての、その島の周りで捕鯨が盛んに行われていると言う。
(吾が)先に山縣殿に状(手紙)を認めておくゆえ、長崎に着いたら玄幹と共に必ず訪ねるが良い。捕鯨の実際を観るはもとより、捕鯨に使われる種々の道具から解体の方法、地元の呼び方で良いから鯨の各部位の名称。
食べることの外にどんな利用をしているのか、其方の気づくところ関心の行く所で良い。必ず書き控えてきて吾に教えて欲しいのじゃ。
山縣殿の話すこと、教える事を大事に、大事にな」
「成程。面白くも御座います。して、二つ目は?」