二十二 玄幹の旅立ち(享和三年正月)

「六(次男、六次郎、(のち)の大槻磐渓)を宜しく頼む」

「はい。御心配には及びません」

 言いながらに、六に手を差し伸べる(すみ)だが、六はそっぽを向く。一緒に行くと、駄々をこねる。

「すぐに帰る。(ろく)のために、美味しい(和)菓子を買ってくる。

 良い子で待つのだぞ」

 優しく声を掛ける。その玄幹はと見れば、顔を紅潮させてもいる。相手が弟と雖も、慣れぬ嘘を口にしたからであろうか。

「参ろう」

 吾は六に何も語らず、玄幹を玄関口に誘った。

「初めての長旅になる。道中、無理はするな。

 まだこの季節だ、北に向かうほどに寒さが身に染みて来よう。

仙台も一関も江戸とは比べ物にならぬ寒さぞ」

 浜街道を行けと提案したは風光明媚な海、奇岩の景色に心が和む、癒されると思ってのことだが、この時期、奥州街道を行くよりも寒さが凌げるだろうとの吾の思いだ。

「今日は(下総も)行徳泊りじゃったの。五里ちょっとあるか如何(どう)かじゃろう。

 楽な初日だが風呂のある(はた)()を選べ。遊女に気を取られてはならぬ。

仙台に着いたら、その旨知らせを寄越せ。

 それから、一関を出立する日が決まったら連絡を寄越せ」

「はい。心得て居ります。」

「(吾の)渡した人名帳を持ったか?」

「はい、(しか)とこの懐に御座います」

 勇む心を持つは、吾が吉甫と一緒の江戸上りの時と同じか。吾の心配する言葉にも前を向いたまま歩きながらに応える。

「ここまでじゃな。(みん)()に宜しくな。

 何度も言うようじゃが、一関に着いたれば父が申していたと、実家(さと)(大槻家)の皆様に宜しく言うが良い。

 其方の里帰りとて十五年ぶりにもなろう。家族同様に迎えても呉れよう。

 だが、長崎へは其方が思いもしている以上に長旅ぞ。健康第一にな。

行く先々、金子(きんす)が足りなくなったら何時(いつ)にても何処(どこ)にても連絡を寄越せ」

「ハハハハハ、父上、これでもう四度も同じことを耳にしていますよ。

 有難う御座います。そうなったれば、先にもお話したように兄上(民治)に相談の上、状(手紙)を(したた)めもしましょう」

「達者でな。行くが良い」

 分かれ道だ。湯島(神田湯島)の学舎(がくしゃ)に向かう玄幹の後ろ姿を見送った。

 

(藩の)上屋敷に向かうにも、三日前の民治との事が思い出される。

「泊れ、泊れ。吾家(わがや)から一緒に出立するが良い」

「はい。御心配、有難う御座います。

 なれど、出かけるにもその前にして置かなければならないことも御座いますれば(学)(しゃ)に戻ります。

明後日(あさって)の朝に吾の所に(玄幹に)来て頂いてそれからに揃って出立したいと思います。

 何、慣れても御座いますれば吾の旅支度は心配()りません」

(よう)は初めての長旅になるでの。宜しく頼む。

 少し、待つが良い」

 十八(歳)にもなる倅を心配するかと、知れば親バカと言う者も世間に居よう。だが、いきなり(東奥(みちのく))一関への実家(さと)帰りに、それから長崎までの長旅だ。心配にもなる。

 二年前(享和元年)、東海道を戻って来たと(かみ)ぼうぼう(ひげ)だらけで吾家の玄関口に立った民治だ。嫌な臭いを発する身体(からだ)とその姿(すがた)に、本人は平気でも吾が驚いたは当たり前だった。その冒険交じりの旅を一緒に聞いた玄幹(陽之助、十七歳))が、(あと)に、吾も旅に出たいと言い出したはもっともな事だろう。

 去年(こぞ)の秋に、民治と二人で長崎行きを計画していると(玄幹から)聞いた時には驚きもした。だが、その時に玄幹の長崎遊学を実現せねばと思ったは吾の心だ。

 吾は三十(歳)近くになって長崎に行った。今に芝蘭堂に通い来る中井(亀助)は十六、七(歳)で長崎に遊学している。世間を知るに世界を知るに年齢(とし)は関係が無い。

 身体がひ弱でもあればと心配の余り、玄幹の長崎遊学を日延べにして来たことこそ反省が必要だったか。

同僚に有る御番医師の方々は聞きもして賛成もしてくれたし、身銭とあらば勘定方を困らせもしない。

少しばかりは吾の日頃のお役目も仕事ぶりも斟酌して呉れたか、それが大條(おおえだ)様から年明け早々正式に良い御返事だった。