十九 倅、玄幹の長崎遊学の許し

 享和三年正月元旦。上屋敷に上った。御屋形様(伊達政千代。仙台藩第九代藩主。六歳。後の伊達周宗)は幼くもあれば、簡単な新年の祝辞だ。

 その後に、堀田様から藩の本年の目標を聞く。ここ数年の恒例だ。目標を語るに、(堀田様と)観心院様との間で事前に打ち合わせをしていると耳にしても居れば藩の運営に問題は無かろう。取り巻きの御側用人とて予め御相談に預かっていよう。

「大槻殿、暮に倅殿の長崎遊学を申し出たそうに御座いますな」

 医者溜まりに戻ったところで後ろから声が掛った。声からして桑原殿(桑原純明、二代目桑原隆朝)だと直ぐに分る。

 

 振り返ればその(うしろ)に桑原如則殿(後の三代目・桑原隆朝)、四郎(工藤源四郎。故・工藤平助の次男)の顔が見えた。大座敷から帰るにも職席順かと妙な方に思いが行く。

(まこと)に結構なことに御座います。仲間内に外治(外科)にても内治(内科)にても西洋医学を良くに知る者を増やしていかねば他藩に遅れを取りましょう。

 御存知かな?。藩校・(こう)譲館(じょうかん)を再興させて藩士、農民に関わらず人材の育成、登用に努めて来た上杉侯(上杉治憲)が昨年に隠居した。鷹山(上杉鷹山)と号したとお聞きしておるが、伊達は元々隣国(りんごく)米沢の出じゃ。後進に負けてはいられぬ。

 堀田様のおっしゃる通り、東北の雄、仙台藩が米沢(藩)に後れを取ってはなりますまい」

「ハハハ、正月早々、元気の出るお話で御座いますのー」

「玄白先生や大槻殿の所で学びもした堀内(ほりうち)(ただ)(おき)殿、宮崎(みやざき)元長(もとなが)殿と言いましたか、もう何年になるのかの、国許(米沢)(くにもと)に帰って増々活躍されていると耳にしても御座れば余計にそう思うでの。

 倅殿のこと、おめでとう御座る」

玄幹の長崎遊学のお許しを堀田様(堀田(ほった)正敦(まさあつ))か、大條様(大條(おおえだ)監物(けんもつ))にでもお聞きしたのだろう。

「それは、それは・・・。おめでとう御座います」

 続く源四郎の祝いの言葉に頷いた。