8月10日(日)。朝に娘たちの車を見送り、生家の裏庭の草取りです。

 凡そ100坪ある敷地の裏側半分には白菜、大根の漬物等を作った昔の納屋、農耕具等を置いた木小屋、そして離れた所に日本式便所と豚小屋、鶏小屋が今も昔の姿のまま残骸となって点在しています。

 それらの周りに自分の背丈近くにも生い茂った雑草を妹(70歳。東京都板橋区在住)、弟(67歳。東京都新宿区在住)と一緒に処理しました。母屋から一番奥に、母の愛したお花畑がやっとに姿を見せました。その先の一段高くなっている所に鎮座している氏神様の前に大百合が5本、どれも幾つものラッパ型の蕾を持ったままでした。後に咲いたら見事だねと言いながら額の汗を拭いましたが、三人とも体中がびっしょり大汗でした。

 雑草に隠れていた紫陽花がまだ咲いていました。この花畑には藍色、白色の桔梗、赤いダリヤや桃色の女郎花が咲いていたよねと妹です。

 10日の午後、11日の午前中、藤沢図書館を覗きました。朝に執筆する習慣は田舎に帰っても何処に在っても、何時の日も同じです。その中で、どうしても今に知りたいと思うことが発生します。生家ではネットが使えないので所沢から持参したノートパソコンを持ち込みました。また、お世話になっている職員にご挨拶もと思っていたのですが、その職員は他の図書館に異動していました。町村合併で一関市に組み込まれた藤沢町だということをすっかり忘れていました。

 

 8月12日(火)、早朝に執筆をしながらも、今日は図書館も代替休日、一日のんびりしようと決めて身体を休めることにしました。ところがそうなると貧乏性の小生は別なことを考えてしまいます。

 ガラス窓の破損個所の修理(三箇所も)や、妹が野良猫が出入りしていると指摘する箇所を塞ぐなどの仕事を思いついたのです。俄かにコメリ(ホームセンター)に出かけて必要な諸道具を買い込み、DIYの始まりです。慣れぬことにチャレンジして悪戦苦闘、またまた一日中が大汗でした。

 

 8月13日(水)。午前中はDIYの続き。また盆の入りとて家の中の仏壇周りを改めて整理整頓しました。お坊さんの檀家廻り(家々をめぐって行うお坊さんの読経)に対応しようとの準備です。でも、この風習は小生の子供の頃と違って、今年はお坊さんが来るか如何か分らないと近所に住むお寺の世話人のお話でした。

 暑い夏に限らず、寒い冬の夜の音もなく降り積もる雪の中を托鉢して歩くご住職。軒先でチリリンと鳴る鐘の音と読経を聞いたのは昔の事でした。弟が、今日に帰京しました。

 

 8月14日(木)15日(金)と、一関図書館に行きました。図書館が開くまでの間は到着した駅構内の売店の椅子に座り、今日に調べる物は何かと再確認と、購入した新聞とインスタントコーヒーで時間つぶしです。お盆休みで帰省した方々でしょう、駅は一足早くに帰京するらしい人々等でごった返していました。

 図書館では、①大槻玄沢の父・玄梁が何故に瑞川寺に埋葬されたのか、

       ②瑞川寺から龍沢時に展墓されているが、当時の瑞川寺のご住職は誰か、 

       ③受け入れ側の龍沢寺のご住職は誰か、

       ④展墓されて今に残る墓石の法名は今までの調査で知ったことに間違いがないか。  

       ⑤展墓に際して出土した銅版は誰が作ったのか(文面は大槻玄沢だが)

 また、文化9年、大槻玄沢が一関に帰った時に祝宴を張った一人、白土宮蔵は如何なる人物か。何処に住み、何を生業としていたか。大槻家とどんな関係がったのか等を調べました。図書館の相談コーナーを活用したのは言うまでも有りません。

 

 8月17日(日)、この日は、旧盆も終わり、送り火をと大人しく生家に居た16日と違って瑞川寺と龍沢寺とに実際に行ってみようと決めていました。出来ればご住職様にお会いして色々とお話が聞けたらと思って居たのです。

ところが、行ってみると瑞川寺は午前中だけでも三家の法事が入っていました。本堂で読経するご住職様の後ろ姿だけ見ることになり、境内を散策、拝見させていただいて終わりです。

 平泉方面行きのバス時刻を確認して駅近くにある中華店で昼食を摂り、それから龍沢寺の方に回りました。門前にいきなり大きな大槻玄沢の顕彰碑でした。 山門をくぐり、本堂入り口を覗いていると後ろから声を掛けて呉れる人が居ました。お寺の掃除を手伝って居るとか、60代の方とお見受けしました。

 来訪の事情を言うと、ご住職は若い、歴史物に感心がある方だとのお話でしたが、忙しい方だともお聞きしました。凡そ10分も会話しているうちに、やはりアポイント無しは駄目だなと反省しきりです。甘い考えでした。

 二つのお寺さん宛てに、小生の今と知りたい事を手紙に認めよう、所沢に戻ったら手紙を書こうと考えが変わりました。大槻家の墓所の位置を教えて頂き、勝手にお参りさせて頂きました。

 

 次の写真は自撮りです。大槻家宗家の墓所も幾つか取らせていただきましたが、許可なく掲載できません。墓所は巾5メートル弱、奥行き3メートルぐらいあったでしょう。瑞川寺山門、大槻玄沢顕彰碑、龍沢寺山門の順です。