十八 麻疹の流行
田舎(一関)の寒さに比べれば江戸の寒さはまだ良い。上屋敷の門を潜った。
医者溜まりに腰を落ち着けると、先ずは観心院様の所、それからに大條監物様(政千代(後の伊達周宗)を支えるお側要人の一人))の所にと頭の中にある今日にすべき己の行動を確認した。
「御変り御座いませんか
この年最後のお薬になりましょうか。お届けに上がりました。
滋養強壮の薬でも御座いますればお気に召さずば口にせずとも宜しゅう御座います」
「大事無い。何時も、世話になるの・・・。
江戸市中では麻疹が流行って居ると聞きもしているが、真か?」
「はい。命にもかかわる病ゆえ、この屋敷内に持ち込んではならぬ。
御屋形様にも観心院様にも万が一のことがあってはならぬ、熱の有る者は登城を控えよと、大條様から皆々様に下知して貰って御座います。
滋養強壮の薬はその病の予防を兼ねて作りもして御座います」
「ほほほ、ならば一層、飲まずばなるまい」
お気に召さずば口にせずとも良いと言っていながら、観心院様の返すお言葉に赤面した。
「其方を信じておる。煎じて飲みもしましょう」
次に、大條様等の詰めるお部屋。そう思いながらに、在室しておろうか月も末だが誰も居らなんだらと思いもした。先日(官途要録に享和二年十二月十四日)に、倅玄幹を蘭学稽古のため自費をもって一年間長崎表に遊学させたいと藩に伺い書を出したのだ。願いは如何なった。玄幹の長崎遊学のお許しは如何なった。
杞憂だった。今に御屋形様(政千代)を支える御歴々が在していた。皆様のお顔が一斉に吾を見た。途端に緊張を覚えた。
大條様が、皆様を代表するかのように言う。
「倅殿は玄幹、十九(歳)と言ったな。ここに居る皆で話しておったところよ。
藩の医学医術の一層の進展に寄与するものゆえ、反対する者が居るはずもない。
確と励んでくるよう、倅殿に伝えよ」
それを耳にしてほっとした。あの時、内心、おおーっと思いもした。御代官様等お座敷に有った皆々様に向かって平身低頭した。
其方を信じておる。煎じて飲みもしましょう。確と励んでくるよう、倅殿に伝えよ。観心院様と大條様のお顔も、お言葉も思い出しながら帰路に就いた。
後ろから、退いた、退いたと声が掛る。いかにも年の瀬らしい。何やら買った物を手にしてすれ違う市井の人々とても忙しない。
今年も無事に終わるかと、安堵を覚える。
[付記]:前にもお知らせしましたが、一日早めて明日(8月7日)から今月末まで、郷里一関市藤沢町に帰省します。誰も住まない空き家ですが、関係者に連絡してガス、水道を利用できるように手配しました(電気はいつでも使用可)。
同行する娘二人等と両親等の眠るお墓参り方々本家にご挨拶し、「キリシタン公園」、「藤沢野焼き祭り」(8月9,10日)を見学します(娘二人は初めて見る)が、小生の目的は大槻玄沢を取り巻く人々の生年、没年、活躍、また名前の確認等に有ります。
例えば、平賀蔵人と有りますが、代々引き継がれている名、平賀蔵人で次に続く「平賀蔵人〇〇」の○○を知りたいのです。作品を書き続けるに当たって、既に死んだ人、代替わりした人をそのままに作品を書くことは出来ません。その文献調査が必要な人に桑原隆朝、平賀蔵人、中村日向等が居ます。いずれも今後の作品執筆に大きくかかわりのある人物で、一関市図書館、博物館、関係のあるお寺、仙台市博物館、宮城県図書館、お寺等を訪問します。(娘等は10日に帰京)
ですので、悩みましたがブログ投稿を明日(8月7日)から8月31日までお休みさせて下さい。
日本人で初めて世界一周をした人、ご存じですか?。今、その人物3人から聞き取り調査を行う大槻玄沢、文化3年春を執筆しています。それもまた文献調査を重ねていく必要があるのです。調査対象の宮城県石巻出身の3人(実際は4人)の没年、お墓を知りたいと思って居ます。
7月のブログアクセス数は567(読者)、今月8月も昨日(5日)までにアクセス数189を数えていますが、文献調査のためご理解をお願いいたします。
早稲田大学図書館特別資料室から8月10日以降に利用する資料絵図も使用許可を頂いておりますが、有効期間が一年ですので、9月以降に公開させていただきます。
何卒ご理解の上、今後とも愛読下さるようお願い致します。