十七 形影夜話2
「夜も更けましたれば、そろそろにお休みになりましょうか」
「うん。先に休むが良い。今日にお預かりして来た先生が草稿に引き続き目を通したいと思っての。まだ途中じゃ」
「お身体に障りませなんだか」
「心配は要らん。頼まれた校正は後にしても、気になって眠れぬ因りも(草稿に)一通り目を通して、心を鎮めて床に就きたいの じゃ」
「分かりました
笑みを返す妻(純)だ。
「火の元にお気をつけ下されませ。炭を足しておきましょうか」
「いや、この火鉢の炭が灰になる頃には終えもしよう。
其方こそ風邪を引かぬよう、ある布団を重ねて寝るが良い」
「オホホホ、ご心配、有難う御座います。
お言葉に甘えて、先に休ませていただきます」
間引きはならぬの教化活動は(仙台)領内でも殊に大崎八幡神社の神官、大場山城殿、塩釜神社の神官、藤塚知明殿(前野良沢の養嗣子、前野頣庵の父)。輪王寺のご住職、大賢殿が熱心だと耳にしているが、頭を切り替えた。
(仙台藩領内の間引き禁止の教化本として流布した物に大場山城の「育児編」、藤塚知明の「雙生説」、大賢の「赤子養育仕法」などが有る)
下巻、問答九とある。薬は各々に効能が有る物ゆえ、みだりに使うはかえって害にもなる。患者は病苦のあまり此処が痛いあそこが痛いというが、医者はそれに惑わされず問うべきことを良く聞き、これぞと己が納得したところで薬を与えるが良し、とある。
(先生の)養生七不可にある、心配のあまりやたら薬を飲む、欲しがるに応じてはならぬに通じることか。吾の病家三不治にも書いたとおり、高い薬が良い薬と言う物ではない。患者の今に付け込んで医者が商人になってはならぬ。
また、同じ問答の中で、薬の効能は土地の寒暖、気候によっても違ってくると語る。(大黒屋)光太夫等の江戸への護送に付き添った医者、松前藩の米田元丹殿や、津軽藩の藩医、樋口道泉殿(樋口淳美、号は酔山)、先生の弟子になる日向高鍋藩の福崎大順殿、萩原立章殿との問答から知り得たことだとして、焼酎、人参(オタネ人参、高麗人参)、黄耆、硝黄、柴胡の類はその土地の寒暖、気候によって効果が違ってくる。人の胃腸に入ってから効果が現れる物ゆえかねがねその土地の寒暖、気候に心がけよ(注意すべき)とある。
米田元丹殿とあるが、この米田元丹は工藤様(工藤平助)の弟子であり、工藤様の所(築地)で書生をしていた松前藩は前田玄丹殿の事だろう。工藤様のあの御屋敷が全焼してしまった時に居合わせた前田殿に相違ない。
この書はまさに先生の長年の実体験から語られている。(十二の)問答を一通り読ませていただいて実感するのはそれだ。吾の「医者は商人にあらず」はいささか感情が先に立とったかと赤面を覚える。
両肩が寒いとも覚えて大火鉢を覗けば、火は消えんとしている。もう九つ半(午前一時)にもなったか、そろそろに寝ずばなるまい。(夜話の)跋文は明日にしよう(書こう)。
寝床に戻って純が布団に潜り込んだ。暖かい。布団も人肌も吾を温めてくれる。
(杉田伯元が、養父、杉田玄白の手になる「形影夜話」を上梓したのは文化六年の十月である。弟子達等のために、写本を基本に置くよりもと発刊したのはその翌年、文化七年(一八一〇年)早々のことで草稿成った八年後になる、玄白は七十八歳になっていた。
伯元はその序文に、杉田玄白の胸中にあるもの、経験から書かれたもので門人は是を読んで我が塾の医術の源を理解されたい、と認めている。
また、杉田家が長年かかって手にした地理書等を幕府に提供していた。それに対する褒賞として白銀二十枚を頂いた。その白銀をこの発刊費用に充てた、配るので門人は筆写の労を取らずに済む、と記している)