十五 形影夜話1
「うん。その言葉に感謝するでの。
ところで、法眼殿が暮の挨拶だと言って早々に来ての。何時に来られるか分らないからと師走の声を聞くと途端に来た。
相変わらず面白い話を聞けた。病の元を知るのに役立てられないかと外の奥医師等と共に「虫めがね」を使い始めたのだそうだ。(虫)めがねの活用方法については阿蘭陀の医学書にも書いてあるでの。
(「虫めがねは」顕微鏡のこと。後藤梨春がその著作「紅毛談」(一七六五年発刊)に顕微鏡を虫めがねと日本に紹介してからそのように呼ばれていた)
それでだ、ある日に、将軍様(徳川家斉)にその虫めがねの使用方法を教授したのだそうだ。己の手の甲の皮膚を見ただけでも驚いたそうだが、血液を見せたのだそうだ。
血液の微細な構造を目にして、これが己の身体の中にある血か、間違いではあるまいなと巣頓狂な声を発したとか。
医学館でも虫めがねの活用方法について研究しておるとか言っていた。肉眼で見ることの出来ない、抑えることの出来ない病の元が知れれば、治療の方法についても研究が進むと言う物じゃ。
それに、御薬園と言ったかの、夏も終わりに(大黒屋)光太夫殿が所に天文方の者が訪ねたと耳にしておる。オロシヤの事を散々に聞きもしたと言うから、幕府は北の事が大いに気になっているのだろう。
天文方がこの国の国防に駆り出されるとは、いやはや思いもしていなかったことよ」
「はい。国防がために、地理が必要になってきたと言うことに御座いましょう。
堀田様からお聞きしている分には、伊能殿(伊能忠敬)の纏めた蝦夷地の地図を前にして御老中の間でもしきりに北の守りを話されているように御座います。
オロシヤの南下に備えて、来る年(享和三年)には北の海を見渡せる土地に御奉行所を移転させるようで御座います。
蝦夷の奉行所を函館奉行所と改めるとお聞きしても御座います。大きな声では言えませんが・・・」
(五稜郭と共に完成する箱館奉行所(一八六四年)以前のことである)
話しながらに、光太夫殿が所に訪ねた天文方とは誰であろう?。堀田様の意向を受けた山路殿(山路徳風。天文方に在るも元は仙台藩士)か、と推測した。
「成程の。天文から地理、測量、航海術と来るか。国防を考えるに大砲、鉄砲がごときばかりではなくなったと言う事じゃ。
(光太夫殿を)訪ねたは、船の出来具合とその持つ威力の前に、相手がどれほどの国なのか知る必要があったと言う事じゃろう。
蘭学の必要は一層、医学医術、薬草のことばかりでは無くなったの。
じゃが、吾等の本分は医者じゃからの。それを忘れてはなるまい。
先日に面白い体験をした。何が何だか分らんが吾は夢を見ての?」
「はあ?・・・。夢、あの・・、夜の夢で御座いますか?」
話が日本の大局から不意に吾らが事に及んでいささか戸惑いを感じた。
「うん。夢じゃ。昼の夢とはあまり聞かんがの」
指摘されて、馬鹿な事を口にしたものだと思う。頭の中を「夢」と切り替えた。
「先日までふた七夜(二週間)、吾は御屋敷(若狭藩上屋敷)に詰めておった。
侯(若狭藩第九代藩主、酒井忠貫)の嗣子、酒井忠進様(後の若狭藩第十代藩主)の奥方様と側室とのお産が一遍に来ての。
何かあればと(医者)仲間と一緒に医者溜まりに詰めてはみたものの、元気、元気、お二方は母子とも御元気に何の障りも無くことが済んでの。侯共々藩邸は祝い事で賑やかでもあった。
御配慮も頂いて、吾は一人部屋で寝起きしていた。夕餉を頂きもして文机に向かったものの眠気が差しての。年齢じゃて。朝餉であろうと夕餉であろうと近頃は食べた後に眠くなる。
夢か幻か分らぬ。あの部屋の障子に写りもした御仁が、年齢も取ったれば世のため人のため書き置くが良いと呼びかけて来ての」
「障子に人で御座いますか?
先生、世のため人のため、先頃にあの養生七不可を書き表したでは御座いませんか」
「いや、医者よ。今度は医者よ。
誰とも分からぬ障子に写った影と吾は夢うつつに話しての、その問答を後になって書き起こして見た。
医者の心得、医者の有り様を書き表して見た」
指さす障子の方に目をやりもしたが、この部屋の障子とて何の変りもあろうはずがない。
「其方が医者は商人にあらずと書き表したは四、五年前になるかの?。
ゆえに、誰よりも先に、まずは其方に目を通して欲しいと思っての。
これに目を通すは、其方が一番に相応しいとも思う」
伯元殿のお手を介して草稿の束を受け取った。