十四 小春に聞く「勉強会」
光太夫殿にも渡したと言う錦袋圓(漢方。当時の万能薬)を懐にした。
道々に、小春に聞いた。
「地球を知っているか?」
「はい。この足下も地球だべ。
民治様が江戸から持づ帰った地球図とか言う物を、皆で見せて貰いますた。
民治様が江戸から帰るたびに、大肝入り様(大槻丈作。大肝入り七代目、大槻清臣)が俺達使用人皆を集めで御報告会を開いでくれますた。
田舎に居でも日本の今を知らねば何ねゃ、世界を知っておかねば何ねゃと言って、聞くごども、持ず帰った物を見せで頂く事も皆な吃驚する事だらけですた」
田舎の事情を知って少しばかり驚いた。小春の語る報告会の情景を想像したが、(吾は)先を聞いた。
「オロシヤを知っているか?」
「はい。蝦夷地より、もっと北にある国だべ。
一関でも冬は寒いす雪が積ん(る)のに、一関よりもっともっと北の国で放浪すた。
江戸に向かった船が嵐で遭難すて、着いだ先が遙が蝦夷の先、オロシヤと言う国。その国の中を一杯歩いだ、放浪すた、江戸と一関を二十篇も三十篇も行き来するぐらいの道を放浪すた。
吾がその話をお聞かせいただいたのは、寛政九年の正月だったべ。まだ大槻家にご奉公に上がったばかりで十一(歳)ですた。
オロシヤの女王様に許すて貰えで、十数年振りに蝦夷の先っぽ、ネモロ(根室)に帰って来れだとのお話に只々驚いで聞いでいますた。
(オロシヤのお国は)将軍様では無くて女王様が一番偉い方だと聞いてたまげますた(驚きました)。
先生の書いだ蘭学階梯も大肝入り様の勉強会ですたよ。
碌に字も読めねゃ(読めない)俺達が大肝入り様のお陰で、いろは文字から勉強すて蘭語についでも勉強するのですから、語るお話をお聞きするのですから、俺は年齢取る(年を経る)度に段々に、江戸に行きでゃ(行きたい)、行かねばと思いますたよ。
蘭学階梯を是非に見せて欲すい、貸して欲すい、筆写させて欲すいど大槻家に言って来られだ方が一杯居ますた。
んだがら、この江戸に上るお話があった時、俺は真っ先に手を上げますた」
聞きながら吾の心は温かくなった。そうかそうだよな。田舎でも蘭学階梯の普及があって良い。蘭書の教えを西洋の書の教えを、何処に住もうと誰もがもっともっと世の中、世界を学ぶ必要が有る。
小春が初めて聞いたという寛政九年の正月は、民治が一時、田舎に帰った時だったか。
民治に聞いても居ない田舎のことを耳にして、春よ、よくぞこの江戸に来た、女子とても蘭学を勉強して良いのだ、世界を知って良いのだと思う。
何故か新しい世を見るような気がして、ふつふつと沸き起こる己の血の騒ぐのを覚えた。
「これから行く先は、吾の先生の所じゃ。
先程の話だと、中身は知らずとも「解体新書」と言う本の名だけは知って居よう」
「はい。大肝入り様のお話に御座いますた」
御屋敷を見上げる小春に、吾が江戸に来たばかりの事を思い出しもした。
「ここが、先生の先生がお屋敷で御座いますか?」
大川(隅田川)を行きかう船が見えた。
「うん。杉田玄白先生のお屋敷じゃ。
ここが、田舎から出て来たばかりの吾らが散々にお世話になった所よ。火事で皆々新しくなったばかりじゃがの。
住まいに診療の場、講義所に、諸国から来た者の何人かが一時泊まれる宿所が有る。
あそこに屋根が見えよう。あの蔵には天文、地理、測量、医学、化学、生活様式等にかかる洋書から西洋の辞典に、手に入れることの出来た西洋の諸道具、医療器具、珍品、絵画等と、先生に教えを受けた吾や弟子たちが寄贈した出版物、その他の品々が数多収蔵されておる。
先生の後を継ぐ養嗣子が建部清庵先生(三代目、建部清庵由水、建部亮策)の弟さんだと知ってるか?」
「はい。元は建部由甫様というお方だとお聞きすて御座ゃます。
大肝入り様の何時かのお話に、先生(大槻玄沢)と由甫様と言う方が江戸に出だ。
杉田玄白様の天真楼に入門すた、それが今に、江戸と一関を繋ぐ大きな柱になっているどお聞きすますた」
「柱?・・・。」
その例えを(大槻)丈作から出た言葉なのか小春が作って言ったのか分からぬが、これほど小春の話に関心が行くとは思わなかった。帰りに何処ぞの茶店で田舎の事情を聴いてもみよう。
先に立つ書生の後に、吾も小春も続いた。
「入るが良い」
廊下に膝を着いた書生が、ぎこちない手つきで襖を開ける。
「忙しい身にあるのに呼び立てて悪かったの、良くに来てくれた」
傍で伯元殿(由甫)が、黙って頷く。
「何をおっしゃいます。先生のお声掛けとあれば何時にても駆けつけます」
書生の差し出す座布団を尻に敷いた。お茶をお持ちしますという彼に、改めて顔を盗み見たが覚えはない。また新弟子か。
吾も、女子を連れて先生の目の前に出たことが無い。先生も伯元殿も珍しいことが有る物だと言うお顔だ。吾や末吉に代わって、たまにはこの小春が用足しに来ることも有ると一通りの紹介をさせていただいた。
小春を一関の大槻家から貰い受けた、(大槻)民治が連れて来たと言えば、先生よりも伯元殿の方が関心を持ったのは当然だ。目を細くして笑みを見せた。
「この年齢になっても先生のお話に学ぶことが多く、お声を掛けて頂くは吾の喜びでも御座います」
「そう言って呉れるは玄沢じゃ。吾の知るは一人、二人と段々とこの世から消え失せる。
人の世の常ゆえ仕方が無かろうが・・の。
年齢なれば吾もまた何時にあの世からお迎え上が来るとて不思議はない」
「何をおっしゃいます。
古希祝いに駆けつけた皆様に、(先生は)玄人はだしの絵画も詩も御披露したばかりでは御座いませんか。
先生を頼りにする患者、患家が多くございますれば、そのようなお話は必要御座いますまい。
お元気に居ていただかねば・・・」
(享和二年九月十五日、西暦一八〇二年十月十一日。前野蘭花(前野良沢)傘寿(八十歳)の祝い、杉田玄白古希の祝いが一緒に開催されている。大槻玄沢は、蘭学界の二元老、「倶益健康雙鑠矣」(二人は共に益々健康にして矢をも溶かすほどだ)と祝辞を寄せている。)