七 蘭学会の有り方

 秋も深まれば、そろそろに蘭学会の宴の準備も必要かと思案する。

吾が芝蘭堂の定番ともなった宴とて才助(山村才助)も会の準備に精を出して呉れる。されど、今年の催し物は・・・。今日に来た山村に、講義も一段落したところで相談した。

「先生。毎年、毎年出し物を考えるは止めにしましょう。

 それよりも参加される方々のその年のご活躍の報告、その内容の披歴(ひれき)等の機会にされたら如何(いかが)でしょうか。

 吾こそはと思う方々に己の研究、翻訳の結果等を発表頂く、それが参会者のためにもなりますし、一過性の出し物で終わりません。

 先生が常々おっしゃっている、今の世の豪傑にもなることでも御座いましょう。

 発表したい物を事前に皆々様に募るなど、如何でしょうか?」

「成るほどの。宴と言うは改めねばならないかの・・・」

「いや、蘭学者等の集まる機会とてそうにめったに無ければ、料理と酒は会った方が良う御座います。

 吾とてその場の料理も酒も期待しておりますれば・・・。

 ただ、その宴に併せて、しっかりとした発表の場を設けるとあればかえって長続きする会にもなり得ましょう。

出し物に毎年毎年、頭を悩ますことも御座いますまい」

「そうよの。言われてみればそう思いもする」

「玄白先生が参加してくれるとあれば、先日に発刊されたばかりの養生七不可、病家三不治の内容を改めて御披露されては如何でしょうか。

 先生の小浜藩勤続五十年の祝いに参加して既にその内容を知る方もおりましょうが、発刊したばかりで、その内容を語るは恥ずべき事でも御座いますまい。

 体験談を交えて語れば、むしろ、より理解が深まるものになりましょう。

 また、今度も(宴に)参加する森島殿(森島中良)が、源内先生(平賀源内、故人)のかつての名、風来(ふうらい)山人(さんじん)を名乗って今に読本を発刊するとお聞きしています。そのこととて先に披露出来るは会に出席する価値があると言う物。また、その内容もきっと面白う御座いましょう」

(養生七不可と病家三不治は享和元年八月五日(西暦一八〇一年九月十二日)、一冊にして出版された。また、二代目風来山人として森島中良が享和二年一月に出版したのは「灯下戯(とうかぎ)(ぼく) (たま)(えだ)」である。自ら初の読本と称した。

享和元年(一八〇一年)の蘭学会の宴は十一月二十八日に開かれている。西暦一八〇二年一月二日になる)