二 小田亨叔の訃報
早いものであれから二十日ばかりも経つか。見上げる空の陽の光は大分に温かみを感じさせるようになった。
先生の養生訓の評判はそれほどに聞こえて来ない。須原屋の言うとおり大衆向けに刷りもして店棚に並べた方が良いか。
手にした瓦版は年号を語る。昔に倣った辛酉年の改元だとある。改元の理由は政治的な変革を防止せんがためとあるが何のことか分らん。天皇は光格天皇のままだ。
二月五日に「寛政」から「享和」になったとあるが、それで年齢が先に行った(重ねた)わけでは無い。今年に吾も四十五(歳)になるかと改めて思いもした。
源四郎殿(工藤源四郎)の跡目相続願いを問題なく藩に出し終えたし、後は大分に突き出た純のお腹の子の安産を願うだけか。
純に熱いお茶を頼むか。喉の渇きを覚えながらに格子戸を潜った。
(官途要録には寛政十三年辛酉、二月十三日改元、享和とあるが、世に伝わる改元の日時は寛政十三年二月五日、西暦一八〇一年三月十九日である。
大槻玄沢が遡って官途要録を記述していた証拠でもあり、記憶違いと思われる。なお、二月十三日は西暦一八〇一年三月二十七日になる)
首を傾げた改元だったが、京都も小石様(小石元俊)から吾の蔫録の校訂をしても呉れた小田亨叔殿が亡くなったとの知らせだ。同じ屋根の下で語り合った日が思い出される。
(小田殿は)今に長府(現、山口県)にあるとお聞きしても居たが、長府は遠い国だ。すぐに駆けつける分けにもいかず、仏壇に灯を点け念仏を唱えた。されど、やはり中庭に出て、西の空に向かって手を合わせた。
(寛政十三年一月十五日、西暦一八〇一年二月二十七日、小田享叔没。享年五十五歳。
(永富)独嘯庵の実弟であり小石元俊、亀井南冥と共に独嘯庵塾の三傑とも称された。
寛政四年には長府藩(現、山口県下関市)第十代藩主、毛利匡芳侯の命を受けて藩校、敬業館の設立に尽力し、自ら初代学頭になった)
三 大槻民治の西遊
「おう、如何した、その恰好は?」
来たと告げるお京と共に玄関口に出て見れば、旅立ち姿の民治(大槻民治)だ。
「はい。俸給三〇〇疋(現代に換算して凡そ三十万円。昌平坂学問所日記)を頂いている身にも御座いますが、学頭(林述斎)から六十日間ものお暇を頂きました。
去年の秋、至急に度量衡の変遷を調べよと仰せつかって、その報告(諸代尺度考)が出来たのですから、またその後に、古賀先生(古賀精里)をお手伝いして「大学章句纂釈」と「大学諸説辨誤」の大方を纏めたのですから、そのご褒美に凡そ二か月の休暇を頂いてもバチが当たらないでしょう。
今日に、中山道も行けるところまで行ってみようと思います。
あちこち歩いて、己の知見を広めて来たいと思います」
「今から旅立つと?」
「はい。折角に頂いたお許しですから、一日とて無駄に出来ません。
叔父上にお知らせする暇とて無く、旅支度を整えた所に御座います」
「それは良いとして、中山道も何処まで行くつもりじゃ?
六十日とあれば、結構遠くまで行っても来れよう。
普段の事と違いもすれば、何が有るか起こるか分りもしないのが旅ぞ」
「はい。忙しくも御座いますが、やはり京、大坂には行きたいと思っております。
帰りは東海道になりましょうが・・・」
「うん。しばし、お茶でも飲んで待つが良い。急ぎ吾の知り得る御仁の名を記すでの。
行く先々で訪問すれば(相手方は)、驚きもしようが泊る所とて用意しても呉れよう。何かと支援もしてくれようぞ。
待て、待て、うん、多くは(記すに)時を取らぬ。待つが良い。
お京、純、上がって頂いて、お茶を差し上げよ」
いやはや、思い切ったことをする民治だとは心得て居るが、それにしても一言先に連絡が有ればと思いもする。いや、そんなことを思うよりも先ずは行く先々の土地とそこに住む御仁の名を認めねば・・・。
さても、何処まで行くと聞かなんだと気が付いた。京、大坂には行く。その先は・・、横にずれてお伊勢参りに行くのか、先は兵庫までか。四国に回るほどの日は無かろう・・。
「待たせたの。ここに急ぎ書き記したは吾の長年の友人、知人じゃ。
多くは天真楼に患者として来られ、吾が診もした方々じゃ。
また、吾の蘭学階梯や蘭説弁惑等を読み、その後に好を通じた方々じゃ。
何かあって困ったら相談するが良い。必ず、吾が宜しく言っておったと添えて言うが良い。それを忘れるな。
それからもう一つ。京に行く予定だと言ったな。京も釜座通り夷川にお住まいの小石元俊様にこの状を(手紙)を届けて欲しい。
御年齢が大分に行っておるが、解剖を良くにする医者じゃ。
吾が何かとお世話になっている御方ぞ。宜しくお伝えしてくれ。
其方の面倒も良くにしてくれよう。宜しく頼む」
吾も純もお京も、事情を知ったばかりの末吉も、門口に出て見送った。
身体を少しばかり左右に揺する後ろ姿に彼の癖だなと初めて気づいた。太りすぎましたと言ってはいたけど、少しは痩せても来ようか。本人の身体のためにはその方が良かろう。