二 蘭畹摘芳、蘭説辨惑(磐水夜話)
門松がまたまた大きくなりもしたかと思う。祝いの品を手にして門を潜った。
「(寛政十一年の)幕の内は疾うに過ぎましたけれど、明けましておめでとう御座います。
今年も宜しくお願い致します」
「良い、良い。其方とて、立派な主人。
挨拶に来る訪問客とて多かろう。吾の方からも、今年も宜しく頼む」
「これは粗品に御座いますけれども伯元殿、お扇殿に」
持参した品を差し出しながら床の間の横の梁に張られた命名紙を見上げた。
「命名、鶴」と有り、その四角には折鶴に鯛、打ち出の小槌に亀の図が描かれてる。吾の目の先に焦点を置いた先生だ。
「この年で、孫の名に鶴よ。吾が描くこの頃の絵に良く鶴が居るでの、
伯元もお扇もその事を考えもしたみたいじゃ。
鶴は亀に及ばねど千年と長生きの相を表す。人の世は苦しきことのみ多かれば長生きして荒波も何のその、優雅に舞ってもらいたいと願うは吾の心でもある。
所で、オロシヤ語の理解できる者とて選ばれ蝦夷(地)にも行って来た楢林重兵衛殿が、やっとにお許しが出て長崎に帰ると聞きもした。
其方からも労いの言葉を掛けてやるが良い。西方の張り出し大関でもあったからの。
反対にあの幕府の登用試験、学問吟味の合格者、遠山景晋殿(江戸北町奉行の遠山金四郎景元の父)が、西の丸小姓組のままに蝦夷地御用を命じられ蝦夷に向かうそうじゃ。
冬には江戸に戻って来ようが、そのお役目とて大変なものぞ。
北國の守りが増々に御上の課題となって来もしたと世間に言っているようなものよ、
それで、事のついでに聞きもした。甲科の方の首席合格者、太田南畝殿はどの様にしているかとの。
そうしたら、今に孝行奇特者取調べ御用を命じられたのだとか」
先生の地獄耳を聞くはお久しぶりだ。だが、それが幕府の今を語っているようにも聞こえる。北にも南の海にも外国船の姿話が耳に入ってくる。また、孝行奇特者取調べの御用は、特に「礼」を重んじ君臣から父子の別まで上下関係の有り様を説く朱子学奨励の影響もあろう。柴野栗山殿からの情報か。
「其方の仕事の方は如何じゃ」
「はい。やっとに身幹儀騒ぎを離れました。
天明の世(天明元年、一七八一年、二十五歳)から書き控えても居りました異国の書の教え、薬草、薬物から生き物等までを今に「蘭畹摘芳」と名付けて発刊する予定に御座います。
去年の春(三月)にその例言を拝見して頂きましたけれども、内々の評判もまずまずで今度は本当にそれを発刊しようと版元と調整して御座います。
吸毒石、椰樹、貝多羅葉や不焼布、駝鳥、阿郎惡烏當などの紹介、絵図は版元にも評判に御座います。
控え置いた物の量が多かれば何巻かに分けて、また掛る費用も考えて段々に発刊できればと思っております」