七 身幹儀
ア 星野良悦の頼み
「この木骨は最早お殿様の物。藩のお宝に御座います。
されど、まだ呼び名が御座いません。
吾等は「木偶骨」、単にそのまま「木骨」と呼びもしています。
これをご覧になった方も、観ても居ない方でさえも「星野木骨」と呼びもして御座います。しかし、それがこの人造の骨の呼び名に相応しいと思っておりません。
如何でしょう、この木骨に是非に大槻様に名を付けていただけませんでしょうか?」
「吾に?」
「はい。昨日にお話させて頂きましたが、骨は医の要であり、医者たる者、骨格の仕組み、骨の役割を良くに知ることが重要と説かれて御座います大槻様にこそ、この木骨に相応しい名を頂ければと思う次第です。
そのことは吾のみならず、(広島)藩医に在る後藤様も、恵美様も香月様殿も、また原田やここにいる土岐や冨川も望むところに御座います」
星野殿から解剖にも木骨の制作にも関わった人の名が出て、身の引き締まる思いがした。
解体新書に関わった諸先輩にもこの木骨をご覧いただき、その呼称についてもご意見をお聞きする必要があろう。
「木骨は、暫くこのままにお預かりしても良いかの?、
是非に吾の諸先輩にもご覧になって頂きたい物ぞ。
吾が命名するにも、それこそ、解体新書の翻訳に御尽力された先生方のご意見も賜らねばと思いもする。」
首も縦に、頷いた星野殿だ。
イ 流れ星
蘭学者相撲見立番付案が凡そ出来た。
蘭学花相撲取合興行仕候。これでよいか、疲れたと思いながらに後ろにひっくり返った。途端だった。
「あれだあれだ」
「凄い、凄い」
「大きい、大きい」
家の者共の騒ぎ立てる声がしてきた。何が、如何した。慌てて書斎を出た。
誰の姿も見えない。どうした、何処に行った。
人の声は中庭からだった。末吉もお京も陽之助も夜空を見上げている。陽之助の指さした方を見た。驚きだ。星が多く飛んでいるではないか。何が有ったのだ。
「この夏にも見られましたが、それ以上です。
不吉で御座いますな。
何事も起きなければ宜しいのですが」
寄って来た末吉の言葉だ。頷きもしたが、それ以上に分かることとてない。
天文方はどの様に見ているのだろう。ここと同じように大騒ぎしているのか、否、予め予測出来ていたことなのか。
空一面の星に、ひときわ目立つ星がまた流れた。
十月二十九日(寛政十年十月二十九日。西暦一七九八年十二月六日)蘭学者相撲見立の番付案が出来た、流れ星が多く見られたと(官途)要録に記すか。
まずは、(蘭学者)相撲見立ての番付の草稿を星野殿に見せねばなるまい。
驚きもしよう。解体新書で骨に掛かる蘭方を少しは知っても、蘭学を学んでは御座いませんと謙遜もしよう。
門人帳に記載したばかりの三人の姓名も前頭に張り出したのだ。それにも驚かれるのは無理も無かろう。
だが、かつて中井(亀助)殿が星野殿に忠言したように、木骨は西洋医学の一層の進展に大いに役立つ。蘭語に疎くとも立派に蘭方の推進に貢献する代物なのだ。
解体新書や吾の瘍医新書に目を通し、蘭方も蘭語も理解しているではないか。理解しようと努力しているではないか。木骨は今度の蘭学会の宴に御出席下さる皆々様に御紹介出来る立派な物だ。
当日に配る番付見立ての表に星野殿に土岐殿、冨川殿、中井殿の名が有っても不思議はない。聞いたこともない名だと驚く方とて多かろう・・・。
ウ 木骨は身幹儀
先日に、吾の声掛けに応じて来られた法眼様(桂川甫周国瑞)は木骨に驚嘆するだけでなく、是非に医学館(前身は幕府奥医師、多岐孝元の私塾「躋寿館」)に据え置き、教材に出来ないかと言ったのだ。
また、木骨の呼び名についてご意見をお聞きすれば、其方も知っておる通り解体新書では身体の外形を「頭」「胸」、「腹と腰」の三部に割って解説している。それを一纏めにして「身幹」と言っておる。それにしたらどうかと語った。
声を掛けてお久しぶりにお会いする方とて多く居たが、座敷に広げた木骨を観て誰一人として驚かなかった先輩は居なかった。
殆どの方が手にして頭蓋骨の中の構造に目を遣った。楔状骨(蝶形骨)に驚きの声が一番上がった。関節がすっぽり収まる繋ぎにも感心していた。
その場に星野殿が居れば、吾と同じように制作過程を尋ねるなど質問が尽きなかったろう。
そして、来られた皆々様にこれに呼び名を付けるとすれば何とするかと、最後にご意見を伺った。
「木骨儀」、「星野木骨」」と言うご意見も有ったが、桐山(正哲)先生も石川(玄常)先生も有坂(其馨)先生も「身幹」と答えた。
骨とても物。木骨は本物を模造した物。模型という言葉にも出来よう。
だが、模造にも地球儀、天球儀とあるように人の知らない大きな宇宙を語るは「儀」か。
人知の及ばない、計り知れない人体の構造を語るに良いのは「儀」か。
蘭学の一層の発展、広がりを願って、吾は木骨の名を「身幹儀」と決めた。