カ 初めて観る木骨

 朝から良い天気だ。秋の青空は大気も澄んで深呼吸にもってこいだ。少しばかりの肌寒さを感じるものの、吸い込んだ気に体中が生き返った気もする。

 約束の昼四つ(午前十時)に星野殿達が見えた。今日も香月殿の姿が無い。また、中井殿の姿も無かった。

座敷に茶色の大風呂敷を四枚も広げて置いた。

「これで足りるかの?」

「はい。十分で御座います。この一枚の上に、先ずはこの箱を置かせて頂きます」

星野殿の言葉に頷いた。            

 紫の布の覆いが取られると、長く四角張った大箱が現れた。その両端の金具から天秤棒にも似た(さお)が引き抜かれた。

道々二人で担いできたと知れるが、布の端に鷹の羽の家紋が有る。

 聞けば、広島藩の浅野家の家紋だという。驚きもした。予想もしていなかったことで途端に緊張を覚えた。

 部屋を覗いたお通さんが、お茶を何処に置きましょうかと聞く。これから広げる木骨(もっこつ)(よご)してはならぬ。咄嗟(とっさ)に、四つとも床の間の段の上に置くようにと指示した。

 星野殿の指示に従って三枚の風呂敷の上に次々と骨片が並べられる。立体の物であれば絵図とまた違った感覚が沸き起こる。

直ぐにも触ってみたくもなるが、質問もまた、並べ終わるのを待った。

 何と何と、並べられた骨片は優に百を超えもしよう。数とても思っても居なかったほどだ。(人体の)絵図に慣れすぎてもいたなとの思いもする。

 頭蓋骨に続く頸椎七、胸椎十二、腰椎五、仙骨、尾骨と、先に身体の中心線に沿って並べられた。

「骨は解体新書にあるバンド(靭帯)や何本もの肉筋が上下に引きあって融通していると思われます。

 しかし、そのバンドや肉は蒸す、茹でる、削ぐの段階で失くしたのですから骨と骨との繋ぎをどうした物かと、それが第一に問題になりました。

 解体新書の教えるところのカラカーベン、軟骨もまた骨と骨との間に有ると承知してはいたのですが、それもまた手に入れることが出来ませんでした。

 原田は、(つい)の持つ(あな)を知る、構造を見るのも大事ではないかと語り、孔の有る(けい)(つい)胸椎(きょうつい)等を一個一個造ったのです。

 解体新書の教える通り、孔は神経や血液等が通る所に御座いましょう。

 また。骨の仕組みを良く知るに、関節で(つな)ぎを取り外せるようにと木工芸の技、(ほぞ)(ほぞ)(あな)凸凹(でこぼこ)の切り込みを採用したのです。

 御覧下され、手も足もあの解体新書の絵図のあると同じで、指先までも丁寧に造られて御座います」

 土岐、冨川の二人が星野殿の指示に従って並べるとてもかなりの時間(とき)()った。丁寧に丁寧に肩の骨、胸の骨、肋骨、骨盤、手足の骨、指先の骨と並べ終えると、星野殿は満足そうな顔をした。

「少しばかり、手にしても良いかの?」

 手首に八つもの骨、中骨五つ、指の先骨十四、思わず吾の手を見て、並べられた木骨の手首、指先の骨の数を数えながら聞きもした。

「はい。勿論に御座います」

 逆さにして頭蓋骨の内部を見るに、頭蓋(冠状縫合、矢状縫合、人宇縫合、鱗状縫合の部位)を糊で張り合わせたと分かる。ところどころ針金で留めてある。何故に吾がそこを見たのか、星野殿が気づいたのだろう。  

「解体新書の「頭骨中断見其裡図(とうこつちゅうだんみそのうちず)」に習い、頭蓋骨の内部を開示できるように、観ることが出来るように細工して御座います。

 楔状(けつじょう)(こつ)蝶形(ちょうけい)(こつ))、()(こつ)鶏冠(けいかん)から視神経(ししんけい)(くだ)上眼窩裂(うえがんかれつ)(けい)動脈(どうみゃく)(くだ)内耳(ないじ)(あな)舌下(ぜっか)神経(しんけい)(くだ)から血の通る(静脈)(ほら)(みぞ)などなど、原田の技術の粋が詰まっても御座います」

 その説明によくぞ勉強した物だと感心もした。それらを知らないで外科を名乗る医者とて居るのだ。

 また、絵図に見てはいたものの、良くに分からなかったことがこの木骨で成程と納得も出来るではないか。解体新書では首の骨を上から「棒宇内」「回転」「車輪」と訳出しているが、その首の骨、(頸椎)は七つだ。

「絵図では分からない、微妙な骨のそれぞれの形に驚きました。

 木骨は当然のこと、それぞれの骨の原寸大にして御座います。

 また、骨一つ一つに重みも御座います。それ故、骨の材料に使った木、(くすのき)(きり)柘植(つげ)卯木(うつぎ)などは骨の形、長さ重さなどを考慮して使い分けて御座います。」

 感心しながら、説明に聞き入った。

(星野木骨。参考図―広島大学医学部医学資料館所蔵)

 

[付記]:昨日の続きです。狭山湖等を起点に所沢市街を流れる荒川系一級河川の「東川」沿いに凡そ5、6キロ、歩いて到着したのが「よっとこ」と呼称されている所沢市観光物産館でした。

 初めて観る場所で、「トコろん」と名の付く飴玉を買いました。「トコろん」は所沢市のゆるキャラ、マスコットです。所沢は日本の飛行機発祥の地と言うことで翼を頭にした帽子を被る「トコろん」が金太郎飴同様に飴玉の顔になっていたからです。

 老妻は新茶の詰め放題に参加して大喜びです。この作品の寛政三年の項「夢遊西郊記」にも書きましたが、狭山茶は元はと言えばお江戸駒場御薬園から持ち込まれた物です。静岡茶、京都宇治茶と併せて日本三大茶になるとは、当時の駒場御薬園の施設管理者(園監)、御庭番の隠密・植村左平次政勝も想像し得なかったことでしょう。

 

 その情報・物産館から目の前に見えるのが昨年、2024年6月にオープンした「角川武蔵野ミュージアム」でした。図書館、美術館、博物館の機能を併せ持つ文化複合施設ということでしたが、今回はその施設の敷地を通り抜けです。

 驚きました。アニメの聖地とも言われるとかで、誰のどんな作品の登場人物なのか分かりません。沢山の若者男女が主人公等に成り切ったコスチュームで被写体になり写真撮影会の真っただ中でした。撮る方、撮られる方、凡そ3,4百人は参加していたでしょう。 小生が通りすがりに撮った傑作(自画自賛)の一コマを参考に投稿しますけれども、まるで別世界の中の絵柄です。(その後、老妻から誰が何と言ってくるか、クレームがつくかも知れないので投稿するなとのアドバイスです。投稿を諦めます)

 

 そこを離れて東所沢駅の方角に向かったのですが、その道々にも大きな旅行バッグを片手に引き、ミュージアムに向かう若者男女でした。足元を見ると、マンホールの蓋も同じ所沢市街では見ることのないアニメをモチーフにした物でした。