ウ 人骨を得る
「吾らが得たいのは、綺麗な人骨で御座いました。
骨から肉を離すのにどの様にしたものかと、三人で何度も話し合いました。
川に生息するカワウソを捕まえては実験もしてみました。
その結果に、骨を蒸しあげるとて特製の蒸籠と、釜茹で用に五右衛門風呂を用意することにしました」
「蒸籠と五右衛門風呂?」
「はい。綺麗な人骨を得んがためとはいえ特製の蒸籠と五右衛門風呂で人肉を削ぎ易くする。
骨を蒸す。茹で上げると聞けば鬼畜の沙汰と言えましょう。
恵美殿の指示による腑分けは九つ半(午後の二時)頃に終わりました。
その後に、臓器を失った屍が吾等に委ねられたのです。
死人の骨を蒸す、茹でる、骨に残った人の肉を削ぎ取る。作業の間中、三人とも無言でした。
他人様が見たら吾等三人は凄い形相をしていたかも知れません。
作業の間、何度心の中で念仏を唱えたことか。後に効けば、二人も念仏を唱えていたと言います」
お京が大きく目を見開き、肩をすぼめ身震いをした。吾とて四人を前に唖然とした。
お京がそっと席を立った。閉じた襖がぴしゃりと音を立てた。
四人が揃ってその方を見たが、姿は無い。
「付着物を取り除いた骨はその後に海水で洗浄し、傍を流れる川の水で再度洗って天日で乾かすことにしました。
作業が終わったのは夜も四つ(午後十時)を過ぎていました。
すこしばかりの篝火を焚いても居ましたが、その頃には星と月の灯りが頼りでもありました。
昼飯にも夕飯にもと持参した握り飯に手が届きませんでした。
腹が減っているはずなのに、腹が減ったとも思いませんでした。
疲れた体と神経に泥のように眠りこけました。その時にどの様にして暖を取ったのか、取れたのか、今も良く思い出せないのです。
翌朝になって、蒸籠の中に残る綺麗な真白い骨と、天日に干された骨を幾つも手にしました。朝陽が骨に当たるのです。
神々しく見え、ただただ感動しました。
気が付くと三人共、涙を流していました。長年の思いが叶った時でもありました。
暫くは頬を伝う涙を拭いもしませんでしたな」
「集めた骨は何とした?」
「はい。用意しておった幾つかの麻袋に入れ、木箱に収めて家に戻りました」
「蒸籠と五右衛門風呂は?」
「はい。持ち帰る物でもないと三人で話し、蒸籠は作業の時に着ていた衣服と一緒に燃やしました。また、五右衛門風呂は念仏を唱えながら海中に沈めました。
ただ、それでも困ったものが御座いました。家族に言われて初めて気付きました。
己の身体に沁みついた死人の匂い、血の匂いです。衣服だけでは無かったのです」
洗っても拭いても異臭は五日余りも身体にまとわり付いたと語る。それを聞いて、お京ならずとも吾とて心は震えた。
「原田は骨の一つ一つに見入って、人知の及ばぬ物ぞとただただ驚いていました。
原田とは原田孝次という者で、人骨を手本にして後に木骨を作った者に御座います。
元は宮大工の身に御座いましたが数年前に郷里広島に戻り、川の中島に有る木挽町の棟割長屋に住み、今もそこで木工芸を生業として御座います。
以前にも吾が日参して、楠で出来た骨を二つ作って貰ってもいました」
頷いた。宮大工とあれば曲げも溝も多い寺社の屋根や梁の造作、欄干造りを手掛けても居よう。仏師や、様々な花鳥風月、動物を彫る彫師とも少なからず関わっても居たろう。それら専門の師の教える知識や技術をまた心得ていたかもしれない。
何時に見ても寺社の屋根や壁の造りに感嘆を覚える吾は、骨の制作に宮大工を選んだとお聞きして納得も行く。
「この年(寛政十年)、原田も五十三(歳)になります」
観蔵によって臓器の配列を確かめる、臓器の役割を蘭書の翻訳によって知る。解体新書や西洋の医学書によって今や人体の骨格図に驚きもしない。だが、治療の効果を期待して人体を根幹から支える骨を作ろう、骨の形態、連繋の仕組みをより知らんがために作ってみようと考えた医者は、かつて居たろうか。
四つ足の獣肉を食べる西洋人は魔物、屍を切り開く解剖などは身の毛もよだつ悪魔の仕業、悪魔の秘儀と語る医者とて未だに多いのだ。
[付記]:小生は、37年余の公務員生活のうち凡そ十年を病院事業に従事しております。がん、感染症を専門分野とする都立駒込病院に凡そ3年勤務し、その期間中に病理部長と親しくさせていただき色々と教えて頂きました。
解剖の事をお聞きし、ホルマリンに漬けた心臓、肝臓等の大びんが並ぶ部屋を見学させていただきましたが、最後の言葉が未だに忘れられません。
小生がその病院に居た頃、毎年春先に15,6人の研修医が採用されます。その研修医が初めて解剖に立ち会う、観る時の事です。解剖室に入るに研修医は何時もの白衣(ズボン姿)に長靴です。それだけを聞いて、清潔保持厳守の場に長靴姿もあるのかと思いました。
当時の山口病理部長はさらりと聞きもし、言いました。何故に長靴姿か分るか?、研修医の中に初めて解剖を観ると言う者が必ず何人かいる。驚くばかりか卒倒する者も出る。長靴は己の小便が長靴の中に流れるようにするためのものだ。それで解剖室の清潔が維持される。