四 出来た!、重訂解体新書の報告

 八月も(なかば)になる。カンカン照りの空だ。じっとしていても額に汗がにじんでくる。

 重訂解体新書の草稿を仮住まいの先生が所に持参した。

 解体新書が発刊されてから何年になるか、吾が先生から改訂の命を受けて凡そ十年にもなる。 

陽之助と末吉の手も借りて大風呂敷に草稿を包み、背にした。三人の背中に掛かる重みは吾の十年の重みぞ。

 歩く道すがら何故か亡くなった明卿の事が思い出された。()()が(西説(せいせつ)内科撰(ないかせん)(よう)を為したも凡そ十年。今度は吾が外科書を纏めたぞ。明卿、褒めてくれるかと心で語りかけた。

 

「お盆も真ん中なれば、今日に草稿を目にするとは思いもしていなかった。

 玄沢殿、ご苦労で御座ったの。感謝申し上げる。

 中(中身、内容)はこれからゆくゆくに見せてもらうが、其方のコツコツと精を研ぐ姿を伯元や亡くなった明卿に度々に聞いても居れば、出来た物とて善書と知る所よ。

 良くに原書を追求して御座ろう」

「昨年の秋には凡そ出来て御座いましたが、その後にも推敲に推敲を重ねております。

(解体)新書は文書編五冊に御座いましたが此度は十三冊になって御座います。

 それに付録上下二冊、図を一冊付して御座います。解体新書の時に使用した図は摩滅してもいましたれば、銅板に変えて御座います。

 新書で見ることの無かった脚注を訳したことにも御座いますれば、原書(ターヘル・アナトミア)の言う所のことで理解できないところを他の外科書に当たりもして調べ、分かり易く書き記したが故に御座います」

「その間、再三急かしたは許してたもれ。良くぞにやり遂げた。

 この書にて吾が(解体)新書に言う所の迷いを消すことが出来よう。

 アナトミアを最初に手にして、今に亡くなった(りん)(中川淳庵)とても草葉の陰で喜んで呉れよう。

  (あと)二月(ふたつき)もすれば浜町に戻る。新しい屋敷が出来上がるでの。新築祝いのみならず、その場で、この書の完成を祝う席も設けずなるまい。

 のう、伯元」

「はい。その様に(しか)と受け(たまわ)ります」

「良かれ情報はもう一つある。まだ確かなことと断言は出来ぬが安岡が事よ。

 貴()()は其方の手伝いもしていようが、身の置き所をしっかりしていることこそ世を渡るに大切なことよ。

 他藩の事とて口出しは出来ぬが、安岡が明卿(宇田川玄随)の跡を継ぎ津山藩の藩医となる」

「えっ。(まこと)に御座いますか。本人は既にご承知のことで?」

「知ってもいる。(其方に)報告しておらぬは、何処(どこ)ぞから、まだ横やりが入るかもしれぬと思ってもいるからに御座ろう。

 残された奥方の意向は強いものぞ。

 奥方は、明卿を手伝う安岡を良くに見ておった。

 身内に(明卿の)後を継がせるに適切な子とて見当たらなかったのだろう。代々続いた宇田川家を絶やしてはならぬと安岡に期待もした。

 奥方の意向とあらば、津山藩の関係する皆々に安岡が跡継ぎの事とて容易に進みもする。安岡が宇田川となる。宇田川玄真となる。目出度いことじゃ。

 八曾(杉田玄白の次女)は十七歳になる。よりを戻す考えも吾にある」

 

 蘭学、翻訳を通じて明卿、津山藩と先生がどのような関係にあるのか分かりかねる。他藩の事とて口出しは出来ぬと語ったが、先生ご自身のご意向も有った、そのための行動も惜しまなかったようなお話ではなかったか。

 明卿が御子(おこ)はいずれも早世している。医療に携わる吾らが己の子さえ丈夫に育てられぬとは如何(いか)にと何度二人で嘆いたことか。

 安岡に聞いてもみようかと道々考えたが、それこそ何処から何が飛んでくるか分からない、祝い事に水を呼び込むようなことをしてはならぬ。

 安岡が(まさ)に宇田川玄真となった時にこそ、(吾の)身の周りに居る塾生共々お祝いをすれば良いと考え直した。

弟の面倒を見るように、安岡が長屋に度々顔を出していた稲村が一番喜びもしよう。