三 本木正栄との再会

 卯月(寛政十年四月、西暦、五月))の空だ。空っとして清々(すがすが)しい。四年ぶりになるカピタンの参府とて長崎屋に赴いた。お久しぶりに法眼様のお元気な姿も拝見した。明卿が生きておれば、吾と先生と一緒のはずだと思いもする。

 相も変わらず、長崎屋の回りは野次馬が先に居た。何時もの通りに先生も法眼様も吾も医学医書の最新情報を聞くことと、その関係ある書の入手を目的としていた。

 だが、天文にも地理にも測量にも、和蘭人の生活の有り様にまでも関心の行く今の世なれば、手に入る外国の書は医書に限らずとも欲しくもある。

 通り口の人物改めを受けた。名を記帳してカピタン等の居る部屋への階段を上った。驚いた。カピタンとその随行して来た医者にではない。カピタン等の座る椅子から少しばかり少し離れて立つ日本人にだ。

「ソーン、正栄(まさひで)ではないか?」

 思わす大きな声が出た。カピタンばかりではない、吾の前に居た先生も法眼様も驚き、吾を見て、それから吾の目の行く先を見た。

 此度は、江戸番小通詞の役を仰せつかったと語る。本木庄左エ門と名を改めたとも言う。だが、彼に聞きもした出島の大火(寛政十年三月六日、西暦一七九八年四月三日)に驚きもした。この参府の途中、先日にカピタンの部屋を含む出島の西側半分の建物が灰になってしまったという知らせが入ったと言うのだ。

 今回の江戸参府は幕府のその報告と共に、建築資金の経済的支援を行うよう通訳するのも仕事の内だと語る。聞きながらに吾に応援出来る事とて無けれども、甲斐甲斐しくカピタン等の世話に当たる彼を目の辺りにして長崎に遊学していた頃の数々が思いだされた。

 皆若かった。皆痩せぎすだった。それが十余年も経って、庄左エ門は髭を蓄え体が縦にも横にも大きくも見えた。

 

 時があれば日を改めてお会いしたい、外に日時を改めて一席設けたいと話した。だが、まだ返事が無い。若い通詞見習いや道中の手伝い等の者さえも長崎屋に缶詰状態にして置くは相も変わらずか。それら一同を指示もする管理者とあれば余計に時間に自由が無かろう。

 頼まれたカピタン、ヘンミイーのための胃薬を先に届ける必要もある。吾の方から長崎屋に三日連続、四度目の訪問だ。今日は士業殿も一緒だ。

「はい。お許しが出ません。残念ながら、表に出歩くは許されぬと仰せです。

 一緒に来た若い者達は江戸を知ることの出来る物、名所の絵図、絵の多く描かれてある江戸すごろくなどに、錦絵を所望しております。それらが入手出来ましょうか。

 江戸の街のあちこちから富士(山)が大きく見えると、驚いてもいます」

「江戸に見る富士(富士山の姿)に驚くは、かつて随行して来た皆々と同じだな。

 容易な事よ。次に来るときにはそれらを持参しもしましよう」

 応えながらに、昔、初めてに長崎屋を訪れたときにもそのようなことが有ったな、先生の言うとおりに後で吉雄耕牛殿に江戸を知ることの出来る品々をお届けしたなと思い出された。

「今日も、押すな押すなの客でしたね。

 カピタン殿もお疲れでしょうが、世話をする中山殿(この年の江戸番大通詞、中山作三郎)等とて大変でしょう。

 それにしても大槻様は羨ましい。本木殿とのやり取りをお聞きしているだけで吾も長崎に行きたかった、行きたいとつくづく思います」

 

 驚いた。いや早速に駆けつけ、是非に見たいと心が騒いだ。五月(つい)(たち)(寛政十年五月一日。西暦、一七九八年六月十四日)に品川の漁師達の手に掛かった()だという。かつて工藤様に話にお聞きもした鯨だが、江漢殿の絵に見たことのある鯨の絵だが実物を見たことが無い。

    そんなにも大きな魚とあれば是が非にも見たい。瓦版を手にそのことを末吉に言って、笑われてしまった。

「旦那様。瓦版が伝えるはもう十日以上も前のことに御座います。

 この陽気に、浜にその鯨を置いていたら腐っても居ましょう」

「そうか、そうだな。残念」

「何時か仙台にお戻りになった折、塩釜の方にお出かけ下さい。

 それでも(くじら)(りょう)()うかどうか分かりませんけど、その時こそ、運よく実物を見ることも出来ましょう」

 吾より末吉の方が鯨について物知りだった。寒い時期になれば北國の方から塩釜沖にも鯨が南下してくるのだという。

その時期に合わせてお国入りし、塩釜や金華山方面に出るが良いとの助言だ。

 何枚も書き、鯨絵師とも江戸市中に話題になっている司馬(江漢)先輩の捕鯨図を思い出しもした。

(司馬江漢は、長崎旅行で見ることの出来た平戸の沖、(いき)月島(つきしま)での捕鯨の様子を寛政四年頃から度々画材にしている)

 

  「大槻様は羨ましい。吾も長崎に行きたかった」。士業の率直な思いを耳にしてからも凡そ二か月になる。

「如何じゃ、これがこれからの吾の屋敷ぞ。皆の生活の場ぞ。仕事場だ。

 其方もこれからは吾の傍で仕事を手伝うが良い。

 強制はせん。父を見て、また手伝ってくれる吾の仲間皆々を見ながら、医学の事も本草の事も、また翻訳の事も学ぶが良い」

 笑みを見せながら聞く陽之助に、これからは学ぶことにも普段の生活の事にも意見を交わそう、話そうと呼びかけた。

 新しい書斎も出来た。推敲を重ねてきた重訂解体新書の付言も書き終えた、己の事どもを思いながらに見上げる青空は、もう、梅雨明けの空にも見える。

 まだ悪阻(つわり)のある身重の(すみ)も、満足そうな顔だ。

 

[付記]:5月23日に投稿した、「付記ー2」の中巻。「あらましは」は変更して御座いませんが、「目次」は当然に変わっていますので加筆修正させていただきました。