中巻  あらまし 

    新たな江戸の生活が始まる。戻る早々仙台藩に正式に移籍が決まったが、色々とお世話になった中川淳庵の死を知る。

また、新築なった家に幽蘭堂の看板を掲げ蘭語指南の塾を開設したが、思惑と違って生徒が集まらない。世間は田沼意次の失脚を歓迎した。

    打ちこわしの騒動も収まって、また、玄沢が家に一旦同居した小石元俊が京に帰って、家族を一関から江戸に呼んだ。

    途端に家が狭くなり、引っ越しを考えざるを得なくなった玄沢であるが、京、大坂に在る小石元俊等が橋本宗吉に蘭学を教授してくれと送り込んできた。

    江戸市民にも読んでもらえるようにと和蘭鏡に加筆修正を加え、蘭学階梯と改めて発刊した。それが大当たりで、本も玄沢の名も一躍江戸市民の知る所となった。

    良沢の支援もあって、引っ越した三十間堀の家には芝蘭堂の看板を掲げた。翌年の寛政元年、芝蘭堂に初めての入門者が来た。

蘭学階梯は再版するほどの評判となったが、玄沢の大番頭とも言うべき有馬(ありま)(ふみ)(なか)が急死した。悲しみに暮れる玄沢である。

    そんな中、天真楼に学ぶ、弟、陽助の様子もおかしい。聞けば、医学医術以外の事に関心が行くと言う。それに対して、誰のお陰で今の生活が出来ている、と言ってしまった玄沢である。陽助のその後の出奔に繋がり、玄沢は後悔する。

    弟の行方を気にするさなか、まさかまさかに、妻、(よし)が体調を崩して死んだ。寛政三年、四年と不幸な報が続く。良沢の子息、前野良庵の死、林子平の捕縛、良沢の奥方、珉子(たまこ)の死、そして玄沢自身の母上の死、出奔していた弟の訃報が届く。更には工藤平助の奥方の死と続く。四年の秋の師二人、玄白の還暦祝い、良沢の古希祝いの寿(ことほ)ぎがかき消されるほどの事だった。

    寛政五年。幸先良く、現代にも通じている宇田川玄随の十年がかりの翻訳、西説内科撰(せいせつないかせん)(よう)の完成が伝えられた。しかし、松平定信の失脚、林子平の死、高山彦九郎の自刃が玄沢の耳に伝わってくるほどに世間は安定しない。

    その様な折に、オロシヤに凡そ十年漂流していた大黒屋光太夫から話を聞く。国防よりも、日本より先に進んだオロシヤ人の今の生活に関心を抱く桂川甫周、玄沢である。 

      寛政六年からカピタン参府の折の面会とて許可が必要となったが、この年、玄沢は初めて西洋の新年を祝う会、芝蘭堂蘭学会の宴(明治時代になって、大槻玄沢の息子磐渓(ばんけい)等が、新元会と名付けた)を開催した。

 寛政七年。江戸市民に更に横文字に親しみを持ってもらおうと蘭学佩觿(はいけい)を発刊した。また伯元の発案により、先生(玄白)と師、建部清庵との間の書簡を和蘭医事問答と名付けて発刊することになった。天真楼や芝蘭堂等に学ぶ者の蘭方医学入門の書の一つにする。

 また、宝暦暦(ほうりょくれき)の改正が幕府の目的になり、それがために大坂から江戸に下って来た高橋(たかはし)(よし)(とき)羽間(はざま)重富(しげとみ)(後に「(はざま))と改める)を知る。伊能(いのう)(ただ)(たか)の名と行動も知った。

寛政八年、玄沢は藩籍移籍や長崎遊学等で支援を頂いた藩主の病死、次の若い藩主の突然の死に遭遇し、改めて藩医の身を考えることにもなった。

    また、江戸の大火で焼け出された玄沢は、この年、仮住まいで蘭学会の宴を開くことにした。余興に蘭学者を役者に見立てた「近来繁栄蘭学曾我」を披露し、好評を得る。

    寛政九年、勝川(かつかわ)(しゅん)(ろう)を名乗っていた絵師が百琳派宗(たわらやそう)()(後の葛飾北斎)と名を変え発表した大胆な構図の絵が江戸の評判を集める。その一方、蘭学階梯の版元にもなった蔦屋重三郎の訃報を聞く。

    寛政三年に江戸に出て来た()()()大槻(おおつき)(みん)()(大槻家本家、大槻丈作の弟)が昌平黌で活躍を見せるようになった。それを喜びながらも、今の世の医者の有り様を嘆く玄白に同感し、医者は商人にあらずと、苦言を纏める。

暮、またもの江戸の大火に今度は先生(玄白)の屋敷が全焼する。宇田川玄随の急死もまた不幸な出来事だった。

 寛政十年、カピタンの江戸参府に随行して来た名村多吉郎、本木正栄(まさひで)と再会を喜ぶ。玄沢の長崎遊学の時以来であり、十数年もの時が経っていた。

   また、玄白から宿題とされていた解体新書の改訂も凡そ十年かかって完成した。その報告の一方で、杉田玄白の新しい屋敷、蔵書蔵の立派なのに驚嘆する。

    二年前に完成を見ていた稲村三伯のハルマ和解だが、出版にかかる費用が膨大と分かり全文の木彫をあきらめた。(現代に残るそれを見ると実に驚く。日本初の蘭日辞典は横文字が印刷で、日本語訳部分が全て手書きである)

    秋に、(ほし)野良(のりょう)(えつ)が木骨を抱えて来た。聞けばその制作過程に驚く。また請われるままに玄沢は木骨を身幹儀と名付けた。

木骨は桂川甫周(幕府の法眼の身に在る)や玄白の評価も高く、蘭学者を大相撲の力士に見立てた番付表の東方張り出し大関に星野良悦を置いた。それが寛政十年の蘭学会の宴の余興である。

 

第六章  新たな江戸の生活

   一 杉田玄白と馬場(ばだ)(せい)(きち)の対面・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1

   二 帰途の中山道を語る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4

    ア 京を発つ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4

    イ 信州木曽路・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7

    ウ 浅間嶽と軽井沢・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10

    エ 上州路・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・13

    オ 江戸入りの支度・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・16

   三 長崎帰りの報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・18

    ア 杉田玄白への報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・18

    イ 工藤平助への報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・23

    ウ 前野良沢への報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・27

   四 病の中川淳庵・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・32

   五 仙台藩に移籍・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・34

   六 淳庵の、豊吉の死・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・36

   七 幽蘭堂・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・39

   八 田沼意次の失脚・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・43

   九 小石元俊の東遊・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・45

    ア 再会―師の紹介・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・45

    イ 同じ屋根の下・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・46

    ウ 六物新誌の跋文・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・48

    エ 工藤平助を励ます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・50

    オ 由甫(士業)と語る①ー腑分け(解剖)・・・・・・・・・・・50

    カ 由甫(士業)と語る②ー伊達騒動・・・・・・・・・・・・・・52

    キ 士業、元俊と共に京に行く・・・・・・・・・・・・・・・・・54

第七章  家族と江戸に住む

   一 打ちこわし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・56

   二 家族を江戸に迎える・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・61

   三 萩野(はぎの)(のぶ)(とし)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・66

   四 芝蘭堂の謂れ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・68

   五 天明八年の正月・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・72

    ア 浅草寺参り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・72

    イ 柴野栗山の江戸到着、弟、陽助の天真楼入門・・・・・・・・・76

   六 杉田(すぎた)()()の死・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・77

   七 柴野栗山・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・79

第八章  蘭学階梯

   一 杉田玄白への報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・81

   二 井伊(いい)(なお)(とみ)を診た工藤平助・・・・・・・・・・・・・・・・・・・94

   三 来る人、行く人―大槻丈作、司馬江漢・・・・・・・・・・・・・95

第九章  三十間堀への引っ越し

   一 お役目の変更・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・96

   二 芝蘭堂・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・99

   三 聞く消息、伝える消息・・・・・・・・・・・・・・・・・・・100

第十章  寛

   一 山村才助と橋本宗吉・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・101

   二 芝蘭堂に初の入門者・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・111

   三 宿題―解体新書の改訂・・・・・・・・・・・・・・・・・・・112

    ア 杉田玄白の(おおせ)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・112

    イ 工藤平助の励まし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・114

    ウ 前野良沢の励まし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・116

   四 (てん)愚孔(ぐこう)(へい)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・118

第十一章 寛政二年

   一 木村兼葭堂の異変・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・121

   二 寛政異学の禁・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・124

   三 蘭学階梯再版の報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・126

    ア 林子平の版木・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・126

    イ 前野良沢への報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・127

    ウ 杉田玄白への報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・128

   四 畹港(えんこう)漫録・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・130

   五 幸も不幸も・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・133

    ア 山村才助を見直した・・・・・・・・・・・・・・・・・・・133

    イ 有馬(ありま)(ふみ)(なか)の訃報・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・134

    ウ 柄井八(からいはち)()衛門(えもん)没す・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・134

    エ 吉雄耕牛等の処分・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・135

    オ 倅、陽之助の七五三・・・・・・・・・・・・・・・・・・・135

    六 弟、陽助の思い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・136

第十二章 寛政三年

    一 兄弟で語る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・140

    二 弟、陽助の出奔・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・147

    三 人相書き・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・151

    四 大槻(おおつき)(みん)()の来訪・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・154

    五 夢遊西郊記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・158

     ア 駒場御薬園見学の計画・・・・・・・・・・・・・・・・・158

     イ 参加を希望する新山健蔵・・・・・・・・・・・・・・・・161

     ウ 延期・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・163

     エ 出立・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・164

     オ 黎明庵・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・169

     カ 酒樽・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・170

     キ 駒場御薬園・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・174

     ク 寄り道―祐天寺、法華寺、龍泉寺・・・・・・・・・・・・177

     ケ 中国故事―劉晨(りゅうしん)(げん)(ちょう)・・・・・・・・・・・・・・・・182

    六 まさかまさかに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・185

     ア 妻、(よし)の容態・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・185

     イ 吉の死・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・190

     ウ 哭妻(こくさい)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・193

     エ 前野良(まえのりょう)(あん)の死・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・195

     オ 弟、陽助の行方・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・197

     カ 堀内(ほりうち)(りん)(てつ)宮崎(みやざき)(もと)(なが)との別れ・・・・・・・・・・・・・・199

    七 秋、冬・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・200

     ア 神田祭・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・200

     イ 憂い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・201

     ウ 七分(しちぶ)積金(つみきん)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・201

     エ 林子平の捕縛・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・201

第十三章 寛政四年

    一 馬田清吉の祝い事・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・202

    二 稲村三伯の入門・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・203

    三 前野珉子(たまこ)様の死、母の死・・・・・・・・・・・・・・・・・204

    四 河野意仙との再会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・206

    五 再婚の報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・208

    六 弟、陽助(大槻玄良)の訃報・・・・・・・・・・・・・・・210

    七 工藤様の奥方の死・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・211

    八 司馬江漢の世界地図・・・・・・・・・・・・・・・・・・・212

    九 杉田玄白の百鶴図・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・214

    十 師二人の寿(ことほ)ぎ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・216

第十四章 寛政五年

    一 谷文晁(たにぶんちょう)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・221

    二 司馬江漢の頼み事・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・222

    三 蔫録(えんろく)の序文・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・223

    四 西説内科撰(せいせつないかせん)(よう)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・224

    五 松平定信の失脚・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・226

    六 林子平の死、高山彦九郎の自刃・・・・・・・・・・・・・・229

    七 漂流した民の話・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・231

    八 ()()(しゅん)(れい)と士業(杉田伯元)の願い事・・・・・・・・・・233

    九 大黒屋光(だいこくやこう)太夫(だゆう)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・237

     ア 将軍、徳川家斉の引見(いんけん)・・・・・・・・・・・・・・・・・237

     イ (ほう)(げん)、桂川甫周の語る漂民・・・・・・・・・・・・・・・240

     ウ オロシヤの今に関心を抱く法眼、玄沢・・・・・・・・・・252

   十 妻、()()の死産・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・254

第十五章 寛政六年

    一 大黒屋光太夫に習う・・・・・・・・・・・・・・・・・・・255

     ア 法眼、桂川甫周の誘い・・・・・・・・・・・・・・・・・255

     イ オロシヤ語の筆写・・・・・・・・・・・・・・・・・・・260

    二 杉田玄白に初孫・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・263

    三 墓参り―()の三回忌・・・・・・・・・・・・・・・・・・・264

    四 カピタン面会の許可願い・・・・・・・・・・・・・・・・・264

    五 司馬江漢の西遊記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・267

    六 妻、()()の妊娠・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・269

    七 大黒屋光太夫、磯吉のお裁き・・・・・・・・・・・・・・・271

    八 北槎聞略(ほくさぶんりゃく)の草稿・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・274

    九 大黒屋光太夫が住まいでの宴・・・・・・・・・・・・・・・275

    十 司馬江漢と安岡玄真を心配する法眼・・・・・・・・・・・・280

   十一 西洋の新年会開催の発案・・・・・・・・・・・・・・・・・283

   十二 安岡玄真と杉田八曽の縁組・・・・・・・・・・・・・・・・288

   十三 (やっこ)江戸(えど)兵衛(べえ)の絵・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・289

   十四 明卿(宇田川玄随)に確認した三つの事・・・・・・・・・・290

   十五 芝蘭堂蘭学会の宴(オランダ正月)・・・・・・・・・・・・297

第十六章 寛政七年

    一 谷風の死の報・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・304

    二 蘭学佩觿(はいけい)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・305

    三 大相撲観覧の誘い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・307

    四 赤子誕生と妻、()()の死・・・・・・・・・・・・・・・・・313

    五 和蘭医事問答の「付言」・・・・・・・・・・・・・・・・・316

    六 高橋(たかはし)(よし)(とき)と前野良沢・・・・・・・・・・・・・・・・・・・317

    七 羽間(はざま)重富(しげとみ)の訪問、天文方・・・・・・・・・・・・・・・・・319

    八 山東京伝の判じ絵・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・324

    九 先生(杉田玄白)の憂い・・・・・・・・・・・・・・・・・325

第十七章 寛政八年

    一 結婚と離縁・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・329

    二 喜びも悲しみも・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・331

     ア 伊達(だて)(なり)(むら)に初子誕生・・・・・・・・・・・・・・・・・・331

     イ 斉村の御正室・誠子(のぶこ)姫の死・・・・・・・・・・・・・・・332

     ウ 伊達(だて)重村(しげむら)の死・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・332

    三 古賀(こが)精里(せいり)、懐徳堂・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・333

    四 相州鎌倉七里ヶ浜図・・・・・・・・・・・・・・・・・・・334

    五 稲村三伯の報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・335

    六 伊達斉村の死、一大事・・・・・・・・・・・・・・・・・・336

    七 余興(よきょう)の相談・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・338

    八 ハルマ和解(わげ)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・343

    九 歌舞伎役者見立ての引札・・・・・・・・・・・・・・・・・345

    十 杉田さゑ(・・)の死・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・350

   十一 仮住まいでの蘭学会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・351

   十二 羽間重富の暮の挨拶・・・・・・・・・・・・・・・・・・・352

第十八章 寛政九年

    一 新年の挨拶回り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・356

     ア 杉田玄白が宅・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・356

     イ 工藤平助が宅・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・359

     ウ 前野良沢が宅・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・362

     エ 日野屋藤七が(たな)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・366

     オ 墨屋多四郎が店・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・368

    二 蔦屋重三郎の訃報・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・370

    三 稲村三伯とハルマ和解・・・・・・・・・・・・・・・・・・371

    四 工藤平助の手柄と憂い・・・・・・・・・・・・・・・・・・372

    五 墓参―妻、吉の七回忌・・・・・・・・・・・・・・・・・・374

    六 大槻民治の近況報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・376

    七 医者は商人にあらず・・・・・・・・・・・・・・・・・・・378

    八 寛政九年の蘭学会の宴・・・・・・・・・・・・・・・・・・381

    九 杉田玄白が屋敷の全焼・・・・・・・・・・・・・・・・・・383

    十 宇田川玄随の死・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・384

第十九章 寛政十年

    一 正月、各々の抱負・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・385

    二 一関藩の次の藩主・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・386

    三 本木正栄(まさひで)との再会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・387

    四 出来た!、重訂解体新書の報告・・・・・・・・・・・・・・390

    五 杉田玄白の新しい屋敷・・・・・・・・・・・・・・・・・・392

     ア 蔵書蔵・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・392

     イ 蘭学者の大相撲見立て番付・・・・・・・・・・・・・・・393

     ウ ハルマ和解の訳語・・・・・・・・・・・・・・・・・・・395

     エ 蘭学の一層の発展を願う杉田玄白・・・・・・・・・・・・395

    六 (ほし)野良(のりょう)(えつ)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・400

     ア 三人の芝蘭堂入門・・・・・・・・・・・・・・・・・・・400

     イ 解剖による生民救済・・・・・・・・・・・・・・・・・・404

     ウ 人骨を得る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・406

     エ 木骨を造る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・408

     オ 木骨は江戸に有る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・409

     カ 初めて観る木骨・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・410

    七 (しん)(かん)()・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・412

     ア 星野良悦の頼み・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・412

     イ 流れ星・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・413

     ウ 木骨は身幹儀・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・414

    八 身幹儀と杉田玄白・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・415

    九 星野良悦等の格付けー大相撲見立て番付・・・・・・・・・・419

    十 寛政十年の蘭学会の宴・・・・・・・・・・・・・・・・・・423