申し訳ございません。まだ、手元に寛政十年の大槻玄沢を書いた元原稿が返って来ておりません。曖昧なままに投稿するのは小生自身納得できませんので、今しばらくお待ち下さるようご理解お願い致します。

 此の一月末以降に加筆修正し、ブログに投稿していなかったた大きなところは今書いている文化年間の事に関連しての事です。

 

 一つは、塩釜の仙台藩御用廻船、若宮丸の遭難に関わることです。若宮丸の遭難が寛政五年の暮の事で、当然、寛政六年の賀正の座、大槻玄沢も参加する上屋敷でその遭難が話題になったでしょう。その場を執筆せずに、凡そ11,2年後の文化二年十二月からの大槻玄沢の漂民聞き取り調査も、また、その後の幕府への報告書「環海異聞」を書けません。

 二つは、大槻平泉の登場、活躍に関わることです。大槻玄沢が従弟の大槻平泉の長崎遊学にも、仙台藩養賢堂の再興、蘭学科設置等にも関わっていたことは先にも知っていましたが、その登場の時期を考えもせず書いていて、ブログ投稿の後に大槻平泉(大槻民治)の登場を加筆修正しています。

 三つは、星野良悦と身幹儀との関係です。文献調査をもとに、何度も何度も加筆修正をしております。その部分が、バックアップに残る作品には欠けております。

 

 以上3点の最終稿を含む作品を、バックアップもせず誤って削除してしまって「顔面真っ青にある」と皆様に報告させて頂きました。

 幸いにも仙台市博物館の知人(学芸員)に、先週にその最終稿を印刷し贈呈させて頂いたところでした。今、一旦、その作品印刷物の返却を依頼して御座います。

 残っている一月末までのバックアップ原稿を改めて修正して投稿させていただきます。

上記1,2については、既に投稿した物の日時等を確認して、作品を改めて投稿させて頂きます。また、そのお知らせを改めて致します。 

 

 何卒、ご理解の上に、今後ともお付き合いを宜しくお願い致します。

 今日に朝早くからブログを開いてくださった皆様、申し訳ございません。